The only time for you -page 1-

シチュエーションボイス動画
【#シチュエーションボイス 】The only time for you No.1【三ツ夜 藤 / vtuber】

こちらのボイスの台本を作成させていただきました。
以下、ボイスの小説版になります。

!注意!
これはあくまで一つの解釈になります。
皆さんの考えるシチュエーションと異なる場合もありますが、ご自身の解釈を大事にしてくださいね。


 今日は、近年まれにみる散々な一日だった。
 仕事でちょっとしたミスは続くし、部下の失敗を上司に怒鳴られ、その部下は知らん顔で他の業務をこなしている。周囲の冷ややかな視線に耐えながらする仕事ほど心に来るものはなかったし、誰も手を差し伸べてもらえなかったことが一番つらいことだった。
 定時を迎えても、目の前の業務の終わりが一向に見えてこない。次々と帰路につく同僚の背中を見送って、大きなため息を一つ。
 結局最後まで、手を差し伸べてくれる人は現れなかった。わかっていたことではあったけれど、改めてその事実を確認すると小さく唇を嚙んだ。
 このくらいの量なら残業を1時間もすれば終わる量。でも今日はせっかく花の金曜日。明日の休みにかまけて夜更かしがてらに居酒屋を転々とするつもりだった私の予定は、目の前の業務によって出鼻をくじかれたわけだ。
「……やる、か」
 深呼吸とともに目の前の仕事と向き合う。
 御託を並べるより手を動かせ。それが私の金曜日を始めるための唯一の近道だと信じながら。


「おわったぁ……」
 大きく伸びをひとつした。もっとかかると思われたそれは少し集中すればすぐ終わり、時計を見れば今からでも笑い声で咲き誇る花の中に混ざる事が出来そうだ。
 しかし、私の体力がもう限界間近なことも事実であった。とてもではないが、今からその喧騒にとけこめるだけの余裕は残っていない。
「……」
 疲れの残る体を起こして、そそくさと帰り支度を始める。
 もうあの喧騒に混ざれはしないが、私の金曜日はここから始まる。思い浮かべたその場所は、今の私でもきっと十分とけ込める場所と知っているから。
 【Cafe&Bar MOON】、あの場所の雰囲気を思い出して自然と頬角が上がっていた。


「いらっしゃいませ」
 都内の雑多なビルが立ち並ぶその中に、その場所はある。よく凝らさないと見落としてしまうかもしれない程こじんまりとしているが、昼間カフェ営業のおかげで立ち寄る人は増えているらしい。
 それでも夜は他の喧騒や客引きたちの声に紛れ、その場所は少しなりを潜めるようにひっそりと佇んでいた。
 くたびれた体をゆっくり動かしながらその扉をくぐれば、ドアベルが小気味いい音を鳴らして私の来訪を告げた。そのまま入っていけば、奥のカウンターでグラスを拭いていた彼が顔を上げ、清涼感のある笑顔で出迎えてくれる。
 小さく会釈をすると、体が勝手にカウンター左端を空いていることを確認して、そのまま腰掛ける。
 そこが空いている時、決まって私はそこに座ることにしている。
 理由は様々だけれど、1番は落ち着くからだ。
 店内全体を見渡し、珍しく人が少ないことに驚いた。そりゃグラスを拭いて客人を待つマスターの気持ちも分かる。
――ぐぁ!
 私の来訪を喜んだのは、何もマスターだけじゃないのがこの場所の特徴だ。足元で嬉しそうに羽を羽ばたかせるのは、彼の飼っているアヒルのフランソワ。人懐っこくて、初めて来た時もすっかり私の足元で嬉しそうにパタつかせたり小さなしっぽを嬉しそうに振っていたのをよく思い出せる。
「こんばんはフランソワ。今日も元気だねぇ」
 そう挨拶を返せば、わかっているのかわかっていないのかは定かではないが返事をするようにぐぁ、と元気よく鳴いてくれた。なんだかそんな姿を見ているだけでも心のわだかまりが少しだけ晴れたような気もする。
「本日はいかがしましょうか」
 足元のフランソワを撫でていると、透き通る声が私の耳元に届く。顔をあげればここのマスターである彼――三ツ夜さんがこちらへにこりと視線を向けている。そういえばまだ何も頼んでいなかったことに気づき、少しだけ申し訳ない気持ちになってしまった。
「あっ、はい。ギムレットの濃いめで……」
「いつものですね。かしこまりました」
 そう言い残すと、彼は後ろにあるボトルの方へと去っていく。ここには何度かきたしいつもこの席を陣取るけど、まさかちゃんと覚えられているとは思いもせずに少し驚いてしまった。
 そういえば以前、他の人と話をしている時に「顔と名前を覚えるのは早い方なんです」と笑っていたことを思い出す。彼の中で私もきっとそのうちの一人で、決まって頼む濃いめのギムレットの印象が強いのかもしれない。
 こういう場所ならではだとは思うけれど、ギムレットの人、って。
「……ふふっ」
「おや、どうかされましたか?」
 思わず考えていたことで笑ってしまったのをなんとなしに見ていたのだろうか、シェイカーを持ちながらふと視線をこちらへ向けてくる。手を休めることはないが、私に何か興味を持ったのだろうか。
 人の少ないこの時間。彼は何を思い、私という客と対峙するのか。
 ただそこに、興味があった。
「マスターは人のことを覚えるのが早いなぁって思ってしまって」
「そうですか? そういってもらえると嬉しいです」
「だって私、そんなに多く通っているわけじゃないのに、注文言ったらわかってもらえて」
「あぁ。これはもう性分みたいなものですからね、お気に障りましたか?」
「いえいえ、私には出来ないなぁ、って」
 控えめに笑う彼だが、私の言葉は本音そのままだった。
 それに比べて私は、と。
 小さなミスをして、部下のミスも怒られて、一人残って仕事をしても誰も褒めてはくれなくて。
――トクトク
 いつの間にかシェイカーの音が止まり、グラスへ注ぐ音がが店内に涼やかに響く。カウンターへ視線を戻すと、間もなく私の目の前に注文していたギムレットがあった。
「……なんだかお疲れですか?」
 差し出されたグラスに口をつけてため息をこぼすと、どこか不安げな声色。暗い空気を出してしまったと後悔してももう遅かった。ごまかそうと苦笑いをしてみるが、彼には到底通用するわけもなく、逆に心配をかけさせてしまっているようにも思えた。
「ぼくでよければ、話を聞きますよ?」
「いえ、そんなつもりじゃ」
 本当にそんなつもりじゃなかった。本当は金曜日に浮かれて、そのままお酒とともに平日の疲れを癒そうと思っていたのに。ふたを開けてみたら他人でもある彼に気遣いをさせてしまうくらいには顔に出てしまっていたのだ。
「お客様の話を聞くのも、僕は大歓迎ですから」
 気を使って言ってくれているのかもしれない。空気を悪くしてしまったと謝りたいけど、そういうことを言えばさらに彼を心配させるかもしれない。
 堂々巡りの思考。お酒も入ってくらりと揺れた脳みそでは、正常な判断ができるわけもなかった。それでも、いきなり切り出すのはさすがに憚られた私は、ない頭を絞ってうーん、と唸ってみる。
「マスターはそういえばいつからこの店を?」
「あぁ、ここは半年くらい前に始めたんですよ。知り合いに勧められて」
 他愛もない話の連続だ。言葉を交わせば、少しだけマスターとの距離を縮めることができるかもしれないと思った私の考えは、どうやら成功だったようだ。
 マスターの開業の話や、それまで出会った人たちの話。彼自身のちょっとしたエピソードなどを交えたそれらは、時に笑いを、時にためになるなと唸っては彼もその喜怒哀楽を返してくれる。
 こんなふうに誰かとちゃんと喋ったのは、いつ以来だっただろう。
 学生の時は当たり前だったそれも、お酒と引き換えになくなってしまったようにも思う。
「でもマスター、スタジアムの二階から落ちるのはさすがに……くくっ」
「いやいや、あれはあれで面白い経験だったんだけどなぁ」
 いつの間にか互いに砕けた口調に気づかないふりをする。今の私がほしかったのは、こういう他愛のない時間なのだから。
「それに比べるとさ、私なんて――」
 だから、自然とこぼれたのだ。黙っていよう、暗い雰囲気になってしまうからと避けていたそれを、話をしているうちに増えたアルコールの誘惑のせいにして。
「ちょっとしたミスでもすぐ怒られてさ、部下のミスはお前の責任だーってなによ……その子も反省してくれればよかったのかもしれないけど、そんなの知らんぷりで。私一人が頑張っても、バカみたいじゃない」
 一度決壊したそれは、止まることを知らぬままあふれた水のようにこぼれ続ける。彼はそれに対して何を言うわけでもなく、黙って聞いてはうんうんと頷くばかり。
「でも、こんなことで落ち込んじゃう自分がほんと……」
 ため息がこぼれそうになったところで、ふふっ、と声が聞こえる。お酒を飲んでいても鮮明に聞こえたそれは、どうやらマスターからの声だったようだ。目が合うといつもの笑顔でこちらを見つめている。
「あっ、馬鹿にしたでしょ。こんなことでうじうじしてるって」
 声や言葉にしなくても、伝わるものは確かにある。今の彼の顔なんて言うのは、馬鹿にしてるとは言葉にしないけど、そんなことを言ってもおかしくないような表情だ。
「あぁ、いやいや。馬鹿にしたわけじゃないよ」
「でもそんなふうに顔に書いてあるもん」
「それは考えすぎだよ。でも――」
 何杯目になるかわからないアルコールが、カランとグラスの中で氷と解ける音が響く。その音がやけに耳に張り付いて、いつもよりペースが速かったかもしれないと思った時には既にアルコールが体を多くめぐり始めた。自覚してしまえば、目の前のマスターがなんだか遠く見えるような気もする。
「いつもお仕事、お疲れ様」
 そんな弱った私にかける言葉の優しさは、ずるいんじゃない?
 言ってほしかった言葉。誰にも労われず、ただただ消耗していくだけの日々。
 でもそこには、ちゃんとわかってくれる人もいる。昨日まで赤の他人だった彼は、にっこり微笑んでほしかった言葉を優しい声色で紡ぐ。
「……ずるいわよねぇ、マスター」
「そんなことないよ。お客様がお仕事頑張ってるって話を聞いて、思っただけのことだから」
「でも、それを素直に言葉にできるのはずるいんじゃない」
 ずるい、ずるい、ずるい。
 アルコールに支配された脳みそで思考できるのは、たった三文字。思考することを諦めたようにただひたすら出てくる言葉に、彼はそっと苦笑した。
「飲みすぎじゃない? いつもよりペース早い気がするけど」
「だいじょうぶよー、マスターおかわり……」
 舌っ足らずでわがまま言ってるのはわかってる。でも、アルコールに支配された私にはもう、止められようがないから。
 そんな私を見て何かを察したのだろう。溶けていく氷を閉じ込めたグラスを私の前からひょいと奪い取ると、今日はおしまい、と笑われた。
「あー、かえしてよー」
「あんまり悪い飲み方してるなら、今日はここまでね」
 手を伸ばしても、私の位置からグラスはとてもじゃないけど届きそうにない。さっさと諦めてカウンターに突っ伏した私に、彼はその代わり、と一つ頭を撫でてから。

「僕が君の話を、たっくさん聞いてあげるから」

 誰もいない、貸切の店内。
 お酒におぼれるその時を、彼とともにくだらない話で夜を明かそう。

――だって金曜日は、まだ始まったばかりだから。




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