慰霊の日

『6/23』


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おばー、
戦争のときおばーはどうだった? ...。
はっし、なんねー。

そして、あの目。

私は、おばーのあの目を
小さいときから何度も見てきました。

おばーの口から
戦争体験を聞くことは難しい事で、 言葉をつまらせているおばーの目を見て
何かを感じ取ることしかできませんでした。

おきなわのお嬢さんプロジェクトを
するにあたり、

去年の今ごろ
大人になってはじめて、自分の足で
沖縄の各地をまわり、平和学習をしました。

陸軍病院の防空壕、
津島丸記念会館、、、 なんと。
疎開先にて撮られた
小学校の集合写真のファイルがあり、

おじーらしき子供を見つけて
母とはしゃぎました。

えー、鼻よ、変わらんねー。
(はしゃぐなんて不謹慎ですが、おじーが無事に疎開先で生きてこれたから、お母さんが生まれ、私がいるんだね、と時空がリンクして不思議と笑いが出ました)

私のおばーやおじーは歳をとり
亡くなりました。

これから次世代が産まれてくる。
(既に生まれていますね)

沖縄も、さらに素晴らしく
繁栄することでしょう。

だからこそ、
おばーやおじーのあの目を忘れていない私たちが、 バトンを受け継いだ私たち世代が

沖縄の魂を感じて
生き切る。

そして
次世代へとそのバトンを渡す。

私はそういう気持ちで
おきなわのお嬢さんプロジェクトから
一本を踏み出してみました。

無限の可能性の中で
大きなキャンバスに
自由に色々な色で夢を描き続けたい。

それは私が睦棯さんの
『おきなわのお嬢さん〜麗しきみやらび〜』
を3年前に睦棯美術館で見て、

おきなわの魂を、自分の中に
はじめて見つけた瞬間だったから。

それはとても大きな勇気になり

今、

夢を、叶えるもう一本を、踏み出せたから。

津島丸会館で見て
今もフォルダに残してある
津島丸記念会館の入り口にある
文章を最後に。 --------------------------------- ☆

私たちは考えました
いま「対馬丸」を 語ること、それは何でしょう?

戦争のこと?それとも平和?

本当に語って 欲しいこと、それはいまそこにある
それぞれの「 夢ゆめ 」のことです

暗く辛い戦時でも「夢」は持っていました

でも、生きていればこその「夢」
犠牲になった 彼らの 無くしてしまった「夢」

彼らが持っていたであろう未来への「夢」
その「夢の未来」に私たちは生きています

この会館に 身を置いたら、感じてみて下さい
そして、考えてみて下さい
この館には犠牲者の数と 比較して
遺品など、「物」があまりありません
どうしてでしょう?

あまりにも長い時間がたったから?
思い出を残そうとしなかったから?

沖縄戦では、多くが 焼かれ 破壊し尽くされました。
形あるものは 失われました
しかし、人々の「想い」は 決して失われません

人々の「想い」、それは平和への強い「 希望 」です
戦争を語るとき、悲しみと 憎しみが生まれます
悲しみの大きさを、「希望」にかえる努力をしないと
憎しみが 報復の 連鎖を呼びます

しかし、報復の連鎖で悲しみは 癒されるでしょうか?

いま「対馬丸」を語ること、それはなんでしょう?

いまも世界では報復の連鎖が
子どもたちから新たな夢と希望を 奪っています
この報復の連鎖を 断ち切る努力を一人ひとりがすること
これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された
私たちへの「 課題 」ではないでしょうか

2004年8月22日 対馬丸記念会 ☆
#おきなわのお嬢さん #沖縄 #麗しきみやらひ#慰霊の日