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2012年12月21日地球滅亡説を本気にしていた私

その頃、私は東日本大震災以降、日本のニュースをチェックするのが日課になってしまい、報道が下火になってきてもまだ何か、あるような、来るような、用心深くなったというか無暗な恐れだったかもしれない。そこにすっぽりと入って来たのが地球滅亡説だったと今にしてみれば思う。

マヤ歴による最後の日、惑星が衝突する予兆。地球滅亡説に基づいた2012という映画も流行していた。つまるところ、大洪水で一般庶民は流されるが、助かるためには世界中のエリートたちだけが助かるために用意しておいノアの箱舟(中国で製造)に乗るしかない、という殺獏としたストーリーで、恐怖を煽るリアルな映像が売りの映画だった。

映画館で観た後、面白くないと言って文句をつけながらも、実はしっかり影響を受けていたようだ。世界各地の大都市が水没してしまったニュース、岩にしがみついて助けを求める人々のシーンを何度も思い出す。

夫やまだ小さい子供らに、その不安を打ち明けこそしなかったが、家で一人になれば、東日本大震災の発生を事前に預言したとかいう先生の聖書講義にすっかりはまっていて、暗鬱な気持ちになるだけだとわかっていても新しい情報を待った。来るにしても来ないにしても、その日までは止められない。もうすぐ来る。もうすぐ来る。

その日、昼過ぎになって急に大粒の雨が振り出し、雷も混じった。血の気が引いてただ座り込んでいた。子供もまだ学校から帰って来ない。夫もまだ帰宅する時間ではない。逃げる準備が必要か?早く帰ってこいって電話するか?

結局、何も決断しないまま、その雨は2時間くらいで止んだ。一日はまだ残っているけれど、子供たちが帰宅した後はもう、地球滅亡のことを考えるのはすっかり忘れた。
何もなかった。何もなかった。

生き残るために、高い防寒具を買い込んだり、どこかの山に別荘を借りたりした人もいたというから、私の場合はそこまでしなかったのだからましじゃないか。それにしても何カ月もの間、そのことばかり考え、縛られていた。そろそろ先送りにしてきた様々なことをこれからやらなければと思った。

是非やらなければと思ったことの一つが、聖書を読むことだった。
預言とかそういう言葉に振り回されるのはもうやめよう。
信じるか信じないかはともかく、何故そんなに終わる終わるって言わないとならないのか知りたい。
ついでにいうと、子供たちが学校で毎日読まされているものが何なのか知らないとならないという気持ちもあった。
それ以来十年かかって、宗教色の強いこの国で、わたしが独自に考察したことを、これからいくらかでも書き残していければいいなと思う。



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