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怪しい世界の住人〈河童〉第七話「冬の河童たち」

 門司に伝わる伝説には、

——毎年、五月の節句になると、山青く水すでにぬくるんで、風・物すべて生気を帯び行楽の好期に入る。この日、御前は配下の河童族を膝下しっかに招集して、
「今日から一同、例年の通り出遊しゅつゆうせしむるから、白のゆかり、笹のゆかりなどある者に会ったら水中に引き入れてしまえ。ただ無闇に人畜の命を取ってはならぬ。やがて秋風涼しく蕎麦そばの花咲く頃を見て、早々に古巣に戻れ」
 と。開放された河童族は思い思いに水辺・沼・沢の間に行楽しながら、源氏縁《ゆかり》の者を物色しては水中に引き入れ、秋風に帰還の時の恩賞を待つのである。

 とあります。
 そして、門司から北九州にかけて河童は平家の関係者になっていますので、源氏にゆかりのある人しか襲わなくなっています。
 門司に伝わる物語の中で地元の古老にインタビューしている部分に、
「今の乙女山の天疫神社なぁ。あすこが海御前さまの祠があったところで、わしどもはみんな覚えちょる。毎年、盆の十三日頃ぃなると久留米から人が来て一日、二日泊まり込み、角の大松の下に祀ってあった墓の上の松の枝に提灯を釣って供養しよった」
 との記録が残されていました。
 大松と言うはこの文書の解説によると、札場から浜へ行くところで、今の天疫神社から出て東の方の浜に行く道の出合ったところの角のことだそうです。
 今に残る松は、
「二度目とか三度目の物である」
 と伝わっています。昭和二十年頃に枯死して、その後の植えつぎはないようです。今はそこには猿田彦の石塚があります。
 地元には天疫神社と呼ばれる疫病神祓いの神社が多く見られます。
 記事では続いて、
「それで昔から村方でもお祭りをして来ましたか?」
 と記者が尋ねると、古老が、

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