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播磨陰陽師の独り言・第496話「最近分かったこと〈中〉」

 大陸の古い書物『隋書ずいしょ倭国伝』の中に、
——日本に文字はなく、木を刻んだり、縄を結んだりするものがあるだけ。
 と言うようなことが書かれています。これをよく読むと、
——日本には紙に書く文字がなかった。
 と解釈することが出来ます。
 確かに縄文時代は平面の紙に書いた文字はありませんでした。と言うか紙そのものがありません。しかもまだ大陸でも木簡もっかんも使われていない時代の話です。木簡と言うのは木の板に墨で文字を書いて綴じた物です。
 この時代、文字を残そうと思ったら土に書いて焼くのが一番です。しかも縄文人たちは、文字だけのために焼くのではなく、実用的な土器に文字を書いて焼いているのです。
 また、漢字は大陸から伝わったものだと習いました。しかしこれも新しい学説では違っています。
 それは、
——漢字が発明される以前にわが国で使われていた神代文字が漢字の元になった。
 と言う説です。
 漢字の起源となった文字は〈甲骨文字〉と呼ばれています。それが発明される以前からわが国では〈神代文字〉と呼ばれる文字が使われていました。この文字は神社の石の御神体などに刻まれて残っています。神代文字は七種類のフォントと各々七種類の読み方が古くから知られていました。これだけで四十九種類もの解釈が可能です。
 聖徳太子より少し後の時代に『先代旧事本紀』と呼ばれる書物が書かれています。その冒頭に、
——神代文字は複雑でたくさんあるので、大陸から来た漢字を使って神話を書き直す。
 と言うことが古語で書かれています。
 漢字の使用は西暦663年の白村江はくすきのえの戦いに遡ります。日本が半島の百済くだらの要請で、唐と新羅しらぎの連合軍と戦いました。この戦争は百済の裏切りによって敗北しました。この時からわが国に漢字を公用文書として使うことが強制されたのです。
 漢字は大陸で広く使われていました。元々は甲骨文字から進化して、効率の良い文章を書くことが出来ました。その甲骨文字の元になったとされるのは神代文字の中のひとつである〈阿比留あひるくさ文字〉です。この文字はアイウエオ順になっていて文字の形が今の平仮名と違っているだけです。不思議なことに甲骨文字で書かれた最古の文章は阿比留草文字で読まなければ意味が分からないのです。中国最古の文章は古代の中国語ではなく、古代の日本語なのでした。後編へ続く。

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