怪しい世界の住人〈狐族〉第一話「狐族の歴史を紐解く」
① はじめに
今回からは妖怪学講座・怪しい世界の住人〈狐族〉がはじまります。皆さん、宜しくお願い致します。
さて、狐と言う言葉を聞くとあなたは何を思い浮かべますか?
動物の狐を思い浮かべるのはもちろんですが、妖怪の狐のこと、特に狐憑きのことを思い浮かべるのが一般的だと思います。
昔話には、狐憑きのことや、狐に化かされた物語などが多く語られています。このあまりに有名すぎる狐のことは、昔話を覚えているだけで、意外にも知らない情報が多く含まれています。
神霊学としての基本としての狐の学びでは、俗に〈狐憑き〉と呼ばれる少し奇妙な現象を扱います。
狐憑きは、実際は、ただの精神的な錯覚や精神病である場合が多く、本当の狐憑き現象は稀にしかありません。しかし、それが本物でなく、ただの錯覚だとしても、やはり本物と同じ対応で対処することが出来ます。
錯覚の場合も、そのまま放置すると、このややこしい狐憑きと呼ばれる現象に移行する場合が多くなります。そうなると、普通の方法・心理学的なアプローチでは対処が難しくなりがちです。
知人に、緊急時対応を専門とする精神科医がいます。彼の話によると、
「今まで、かなりの量の精神病を診断したり、対処して来たが、三例だけ、本物の狐憑きと言われる霊現象としか思えないものに遭遇し、とても困りました」
と言っていました。
トランス状態で催眠術や潜在意識の深い部分に触り続けると、やがてこの奇妙な現象に遭遇する確率も高くなる傾向があるのです。
催眠術や潜在意識は播磨陰陽道で言う主や場の理論と共通しています。では、これらのことを踏まえて、少し役立つ情報も含めて何となくお伝えしたいと思います。
② 狐族の歴史を紐解く
❶「最初の狐は?」
さて、問題です。日本で最初に妖怪の狐が現れたのはいつのことでしょうか?
意外に知られていませんが、『日本書紀(720年)』の中にすでに登場しています。文献としては、この『日本書紀』の中に登場していますが有名ではありません。
一般的には平安時代に書かれた『日本霊異記(882年)』の中に登場する狐がとても有名になりました。
最初の文章である『日本書紀』に登場する最初の狐は〈白狐〉と呼ばれる狐です。白狐は霊獣の一種です。
——斉明五年(659年)のこと。石見の国、今の島根県松江市八雲町の神の宮を改修しようとしたところ、白い狐が現れて宮柱を挽くための綱を食いちぎって改修を止めたことがあった。その時、帝の死を予言した。
この時の狐については、あまり詳しいことは書かれていません。一緒に狛犬のような動物も出て来て予言しているので、狐がメインではないのかも知れません。
この記事から180年ほど経った時代に『日本霊異記』が書かれます。その中の有名な一節に、狐と言う言葉の語源が語られる部分があります。
❷「狐の語源は?」
有名な『日本霊異記』の物語の中に〈狐を妻として子を生ましめし縁〉と呼ばれる一節があります。
この書き出しに、
——昔、欽明天皇の時代に、三野の国大野の郡の生まれのある人が、妻とすべき良い女性を求めて道を歩いていた。やがて、広野のあたりに来た時、とても美しい女に出会った。その女は、少し歩く内に男に親しげにするので、男は、
「どこへ行くのですか?」
と訪ねてみた。
すると女は、
「良いき縁を求めて、探し歩いているところです」
と答えた。
男は、ちょうど良かったこともあり、
「では、突然ですが、私の妻になりませんか?」
と言った。
すると、その女は、
「はい、良いですよ。では、末長くよろしくお願い致します」
と答え、ふたりは男の家へ行き、結婚し、共に住むこととなった。やがて、妻は、ひとりの男の子を生んだ。
と、あります。
妻を探して歩いていると、ちょうど良い女の人が現れて結婚してしまった話ですね。何だか調子の良い話ですが、幸福にも無事に結婚して、子供まで出来たのですが、この続きには少し暗雲が立ち込めます。
——十二月十五日。時を同じくして、その家の飼い犬が子犬を生んだ。子犬は常に飼い主の妻に向かって吠え掛かったり睨んだりすると言う。
妻は怯え恐れて、夫に、
「この犬を打ち殺しておくれ」
と嘆願した。
しかし、夫は子犬が可哀想でなこともあり、妻の苦しみを見聞きしても、なかなか殺せるものでもなかった。
それから少ししてあくる年の節分となった。
面白い物語には起承転結が必要ですが、この物語も例外なく怖そうな展開になります。
子犬とは言え、犬が嫌いな人にとっては、かなり怖い存在です。その犬が、つねに吠え掛かり睨むのですから毎日が地獄かもしれません。そして、あくる年の節分になります。
十二月の中頃に生まれた子犬は、すでに生後一月半くらいの大きさになっています。この時期の子犬はまだ小さいですが、かなり吠えて、時には、うるさいくらいです。
——節分の頃、備えていた米を突く作業のため大勢の者が手伝いに来ていた。
妻が、手伝いの人々に何か食べ物でも出そうと思い、納屋に入ろうとした時、かの子犬が妻に噛みつこうして追い掛けて吠え出した。すると、妻は恐れおののき、突然、野干《やかん》に姿を変えて垣根の上に登って逃げ出したのだった。
突然のことは言え、夫も驚いたことでしょう。美しい妻が、狐の姿になって、垣根の上に登ったのですから……。ここでは〈野干〉と言う言葉が出て来ます。これは狐のことで、まだ〈狐〉と言う言葉そのものがない頃の表現です。
次の部分に、
——夫は、妻の姿を見て、
「私とそなたの間には子を産むほどの仲であるので、私はけしてそなたを忘れはしない。毎夜、ここに来て共に寝て欲しい」
と言った。
と記載がありますが、この共に寝ての部分が原文では、
「毎に来たりて、相寝よ」
となっています。
妻は、夫の語りに従って、毎夜、来て添い寝するようになったそうです。その時、その野干を名付けて〈岐都禰〉としたと書かれています。ここで、はじめて〈狐〉と言う名前が野干に付けられます。それから妻が夫の元を去る時が来ます。続く。
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