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怪しい世界の住人〈河童〉第二話「神話に出て来る河童」

⑤ 河童の伝説をまとめると

 1611年に亡くなった加藤清正公が1643年に藩主となった有馬公に、もし、会っていたとしたら、藩主となる三十年以上も前にすでに会っていなければなりません。
 もし、会っておらず、河童と猿の戦争が長引いたとして、三十年以上もの長きに渡った戦争だと仮定したら、まぁ、この話もあり得るかも知れません。
 しかし、

——河童と猿と戦争は一年に渡った。

 と、別の伝説にありますので、こちらも当時の無名な伝説の人物の業績が混同されたものだと思います。
 この伝説をまとめると、

——仁徳天皇の頃、中国の黄河にいた河童たちが、一族郎党を引き連れて九州の熊本県八代市に来て球磨川に住み着いた。河童の一族は琢磨川流域で繁栄して、その数、凡そ九千匹になったので、河童の頭領とうりょうのことを九千坊と呼ぶようになった。
 増えた河童の悪戯いたずらが激しくなり地元の人々を困らせた。身分の高い豪傑が河童たちの悪戯を怒り、九州全域の猿に命じて河童を攻めさせた。この戦いで河童が降参し、久留米の殿様の許しを得て筑後川に移り住み、水天宮の使いをするようになった。

 と言うような感じでしょうか?
 細かな人物名はともかく熊本県の八代市に伝わる伝説はこのようなものです。しかし、仁徳天皇の頃は正確にはいつの時代なのか分かっていません。そして神話なのか神話でないのかも分かっていないのです。では、調査を神話の時代まで遡ると、果たして、どこかに河童の話が出て来るのでしょうか?

⑥ 神話に出て来る河童の話

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