10月28日 ドラマ

「姉ちゃんの恋人」(フジテレビ)

10月27日からスタートした連続ドラマ。最近ドラマを観るのにハマっているわたし。このドラマも見てみた。

このドラマは、2020年の今が舞台

あるあるの恋愛ドラマだ

少し違うところだけ見ていきたい

主人公は、ホームセンターで働いている。5月ごろの混乱(マスクを求める様子)や、緊急事態宣言下でも働けたことがどれだけ家計にとって良かったかを語る。彼女の友人は旅行関係の仕事についているため未だに苦しい状況であったりする。

印象的なシーンはその友人との対話。例えば、

「国からもらった10万あったじゃん?」

こうしたものすごく日常的な、誰にも繕ってない会話がたくさんみられる。

このドラマはコロナ禍をくぐりぬけ(きれてはないけど)た我々が改めて感じる、身の回りの人とのちょっとした会話。とるに足らないような会話がたくさん散りばめられていて、なんだかそれがあったかい。優しさと愛がいっぱいだ。

話のスピードも速くなくて、すごく日常的。すごく悪い人も出てこない。日常的。

なんでも、できるだけはやく効率的に、わかりやすくって何かに追われたような日常じゃなくて。もっとゆっくりで、無駄を愛して。様々な感情にそっと触れる。じっと触れる。

ドラマとしてのわかりやすくてスピード感があるような面白さにあふれる代表的なシーンはない。

でもそれが、このドラマの目指したところなんじゃないかなって思う。(もちろん後の展開はわからないけれど。)

私たちの生活は、いそがしくて、いつ終わるともわからない戦いの中、なんとか前に進んでるから。

このドラマを観ていると、4〜6月の頃とは全然違うんだなあ、動き出したんだなあ と感じる。

もちろん今も感染して苦しんでいる方々がいる

その人たちを救おうとしている方々も

決して終わったわけではない。

でも、一区切りついたのかなあとおもう。

考えてみると、4〜6月ころ、わたしは世の中がこれを機に一変しないだろうかと思っていた。

世の中の膿が放出して、一回世界がボロボロになる。ボロボロになった世界をまた一つ一つなおしていく。そしてより良い世界になる。

考えてみれば3ヶ月って短い。1つの季節だ。

こう思うと我々は1季節を暗闇に放りやったに近い。

この1つの季節で世界が変わるわけはない。

でも、「当たり前が当たり前じゃなくなる」感覚を知った。人と繋がりの大切さ、すごく小さな発見がすごく小さな出来事に幸せを見出せるようになった。明日の日常があるかもわからない暗闇の中で、もがこうとした。

少しずつ動き出した世界の中で、また世界は元に戻ろうとしている。でもきっと変わったところはある。ボロボロにはならなかったけど。

世界がボロボロになった「戦争」から75年経ち、ボロボロな世界を知らない世代が増えた。豊かででもなんだかその豊かさに希望も抱けるし虚無も抱けるそんな生活が当たり前になった。ボロボロな世界から、豊かな世界に導こうとするその衝動や責任、反省を体感した世代は減ったのだ。

ボロボロな世界を経験した人が少なければ、今の社会の綻びにも鈍感になってしまう。より良い世界をつくりあげようという意識が実感として持てない。言うのは簡単。でも、わからないのだ。始点が。

コロナは我々に様々な課題を突きつけた。いろんな綻びをちらつかせた。ボロボロな世界を知らない世代に変わるタイミングを教えてくれた 

とおもう。

でも、綻びを直す力は自分にはない気がする。ちっぽけな人間だから。地球上にいる数多の人間のうちの一人だ。とりたてて才もなく、ありふれた人間の一人だ。世界を回すのはわたしみたいな人じゃない。だから、世界をより良くする力はない。無力だと。

でも、

でも、

ちっぽけな一人のちょっとした変化が大きな変化になっていかないかなあ という淡い期待は捨てない。絶望してしまったら、もう前に進めない気がするから。

生活の音、街の香り、風や空、同じ電車に乗る人、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」こんなちょっとした会話。残り少ない歯磨き粉、穴のあいたシャツ。少し前では気にならなかった、小さな変化に五感を傾ける。そうすると、すーごく小さなことに喜び悲しむことができる。すーごく小さな発見がある。

他者を思いやるってこうした小さな気づきからスタートするんじゃないかなって思う。色んな人の断片的な世界が、縫い合わさって世界をつくる。だから、断片的な世界もすごく大事で、これが世の中をちょっとでも良くするきっかけになると思う。

なんて。



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