日記 2024/8/25

完全にフェードアウトしかけた!危ない!!
3週間ぶり?

これには深い訳が、別にあるわけでもなく、連休遊び呆けたり、土日遊び呆けたりしていたら日記をすっぽかしただけだ。本当に週次や日次(!)で更新している人たちには頭が下がるのぉ……(爺や)

とはいえ何をしていたんだっけ?昔すぎて……
BBQをしたのは思い出した。ビルの屋上でBBQができる飲み放題付きのやつだった。8月の半ば、当然のように猛暑の中で、熱気とビールで満腹中枢を沸騰させながら肉を食べまくったのだった。全然一人熱中症になった。

世間はお盆休みとかいうのがあったそうですね、いいな〜。特にその週もカレンダ通りで休まなかった。国民の皆さん!勤労は義務ですよ。(おしまいの桃鉄)
なんか最近3連休とか多いですね、9月にもあるみたいですよ、ワクワクしますね。

そう、何を思ったんだったか、BBQが終わった後家に帰って、ダンガンロンパをやってみようとなり「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」(Switch版)をぶっ通しでやってクリアした。
これが結構、言いたいことが山ほどある感じで、どこかに書き出そうと思ったのだった。なので日記パートは終了です。以下ネタバレ……(長い改行)

結論、あまり好きでなかった……
のだが、決してゲームの完成度が低いというものではなかった(むしろ、素晴らしい出来と思った)ので、感じた当時パッと言語化することができなかった。だんだん消化できてきた気がするので、書いてみる。

端的にいえば、「ストーリの都合や盛り上がりのためにどのようにキャラクタを利用しても良いのだろうか?」という疑問をシナリオに対して強く感じた。いやまあ、「そういう話ってちょっと見れば分かるじゃん」と言う方もいらっしゃるかと思うが、あの、知りませんでした……
ただし、知っていたとしてもプレイしていたと思う。なぜなら、ここで問題になるのは「自分が、そういったキャラクタの物語の記号としての利用に耐性がないということ」自体をあまり意識した事がなかったためだ。もっと言えばこれは、最近の心の変化だと思った。これまでは、ここまで露骨ではなかったにせよ、キャラクタというものが創作者によってどのような悲劇をも与えられ、物語が完成していく(時にはスパイスとなってエンタメが強化されていく)ことに対して、そこまで抵抗なく受け入れられてきたはずだ(例えば、「読む地獄」、「〇〇(作者名)は鬼」などと呼ばれる作品群)。ただ、最近そういった作品に触れていない中で、今回ダンガンロンパで処刑されていく生徒たちを見て本当にふざけるなよという気持ちを感じたのは、「ダンガンロンパが特別に露悪趣味をエンタメに持ち込んだから」ではなく、「私自身がそういったエンタメを楽しめなくなってきているから」のかな、と思った。言ってしまえば、それは老化だろう。私は老化している、そう思った。

創作者は構造上、どのような悲劇でもキャラクタに対して与える事が可能だ。身体が傷つくこと、尊厳が傷つくこと、愛する人を失うこと、信じたものに裏切られること、絶望すること。その目的が物語の構造のためであれエンタメ性であれ、節操なくそれを与えても良いのか。いいでしょう、創作なんだから。昔ほどそんな考えが出来なくなっていることに気づかされた。
処刑された生徒の親(作品世界だとおそらく亡くなっているのかな)はどんな気持ちになるんだろう、最近生まれた姪のことを思い出して考えた。

繰り返すがゲームとしての出来(を語れるほどゲームやったことないけど)は良く、グラフィック、音楽、ゲームシステム、演出、どれも凄く圧倒された。はっきり言って面白かった。ただ、これを面白いと言ってしまうことに後ろめたさがあるような、そんな気持ちが残った……

長々書いたが要は、「もはや私のためのゲームではなかった」という事実と、「こうやって少しずつ受け入れられないものが増えていく」という寂しい未来予測とが結論だ。大人しく大根の漬物でも食べててね、爺や。

うわー、ただこの問題難しくて、そう言った創作者の葛藤がクレンジングされた作品群(いわゆる「こういうのでいいんだよ、こういうので」)で溢れかえるのもやっぱり違うよね、という話ではあるんだよな……
悲劇や不条理の無い人生なんてないし、であるならば人の何かを肯定する目的の物語には悲劇が存在することは許容されるべきなので……
あのすみません、全然消化できてないです。1800字かけてその辺散歩しただけになりました。

最近買ったものでも書くか
・KindlePaperWhite(防水)
・涼宮ハルヒシリーズ全巻(セールしてた)
これ完全にお風呂でハルヒ読む人の装備だな。

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