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白衣の喫茶店

「天文館に白衣でコーヒー入れてくれるからカフェ知ってますか?」

私が鹿児島出身と知って初台にあるカフェギャラリーのオーナーが切り出した。

古めかしいレトロなテーブルやカウンター、窓にはレースのカーテン。
とても小さな空間だけど細部までオーナーの美意識が行き届いている。

学生時代は大体遊びに行くのは天文館だったが、そんな白衣でコーヒー入れてくれるカフェがあるなど知らなかった。
鹿児島にそんな独特なカフェなどあるんかいと意外になり、そしてぼんやり彼の言葉に耳を傾ける。

彼は高校の時の修学旅行で鹿児島に行く事になり、自由行動の際に友人達と別れて単独行動でそのカフェにたどり着いたようだ。
「まるで研究者の様な方達がコーヒー入れてくれますよ。」
自分にとって身近な場所にそんな独特な世界があったなんて、地元といえど知らない事は沢山あるのかもしれない。

お店の名前は「ライムライト」というらしい。
なんかよくあるスナックの名前みたいだなと思った。

先日、実家のある鹿児島に帰省をした。
コロナで色々帰れなかったから両親には色々申し訳無かったなと思いながら。

久しぶり天文館を歩いた。
どんより曇り空を仰ぎながら、今にも雨が降り出しそうだった。
歴史を感じる鹿児島の老舗百貨店山形屋の外観を眺めていたら、初台のカフェのオーナーの言葉を思い出した。
あ、あのカフェ行ってみよう。
Google mapを開いてみる。
そんなに遠くは無かった。
今更だけどスマホはありがたいな。
キーワードだけでも知らない場所に辿り着けるし。
雨が降り出したので折り畳み傘を出してアーケード街に渡る。

天文館のアーケード街はもうほとんど知らない場所だった。
学生時代に通ったCD屋さんも雑貨屋さんも見当たらない。
見慣れて無いお店ばかりなので土地感覚が狂う。
人もまばらで冬に雨にと寒々しい雰囲気だった。

しかしスマホによると、よく歩いていた道を曲がればその喫茶店はあるらしい。
少し濡れてしまったが、その小さなお店に辿り着けた。

店内は決して広くなかった。
しかし5人くらい座れるカウンター席も、4つほどある小さなテーブル席もほぼ満員だった。
雨の中で少し静かな繁華街になった天文館からこんな活気が感じられるとは。
店内は薄暗く一面の壁に調度品の様にレトロで趣のある珈琲カップ達がずらりと並んでいた。
そして白衣の男性2人が忙しなくカウンターでコーヒーを入れていた。

ほぼ満員のお客達を相手にカウンターにいる2人の白衣の紳士は忙しなく珈琲豆を操っている。
天秤のような秤に豆を量っては揺らしていた。
本当に研究者みたい。
白衣の胸には「Lime Light」と刺繍がしてありとても恰好いいな制服だなぁと感じた。
ここは今時珍しく喫煙OKのようだ。
お客の談笑する声とほんのり漂う煙草の匂いが心地良くて懐かしい。
短い期間だが喫煙者だったので漂う煙草の匂いを少し心地良く感じる。
私はすっかり煙草は卒業したけど今だに喫煙を嗜む友人達はホッと一息つく場所を探すのに苦労してるので少し気の毒に思ったのを思い出した。

珈琲は何頼んだか忘れた。
珈琲は好きだが愛好家でも無いし、いつも程よく苦味を感じるものをメニューから選んで注文する。
最近は健康に気を使って珈琲好きなのにカフェインレスの飲み物ばかり飲んでいたから、カフェに入ると何か堂々と珈琲飲んでよい様な気持ちがしてつい嬉しくなってしまう。
口に広がる苦味を堪能しながら白衣の紳士達の手元を見つめる。
忙しなくて正確で味わい深いものを生み出す動作を小さなエンタメを見るように楽しんだ。

「どうして制服を白衣にしたのか?」とか「いつから天文館で営業しているのか?」と色々聞いてみたい気もしたが、こんな慌しく動く仕事人達の手を止める訳にはいかないのでお会計して外に出た。
お会計してくれた女性店員は何故か普通のカジュアル服だった。

雨はまだ止んではくれなかったし雨の天文館はやっぱり少し寂しくて肌寒かったが、小さな異空間に滞在できた満足で帰路に着いた。

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