誕生日

8月になった。もうすぐ25歳になる。可能なら一歳でも若くなりたいと思うのは、もっと“ちゃんと”年を取りたかったからだ。20歳の頃にイメージしていた25歳って、仕事に慣れて、結婚を前提にお付き合いしている人がいて、役に立つことでもそうでないことでも、できることが増えているはずだった。でも現実の私は、イメージを何一つ叶えていなくて、より臆病になって、自信を失って、できないことが増えた。同級生は学生でも博士課程だが、色々あって私はまだ学部生だ。しかも卒業が危うい。不真面目というよりは、授業中に我慢して着席していることとか本を読むことなんかが以前よりできなくなった。

何もできないまま大人になってしまったから、できないことの色々が「若さ」では許されなくなってきて、若さが価値であるとするならば私はただ価値が目減りするだけの人間になってしまったのではないかと思う。同時に、こんな風に誰のことも元気付けないような価値観を未だに持ってしまっている自分に失望する。人間に対して「価値」ってなんだよ、と思う。尊厳あるすべての人に対してあまりにも失礼だ。

一発逆転のチャンスはもしかしたらあるのかもしれない。でも、私は「価値を認められた側」に行ってこの地獄から一抜けするのではなくて、この地獄を解体したい。どうせなら、落ちこぼれのロールモデルになりたいのだ。

数十年前なら当たり前だった人生のイメージが現実には贅沢なものになっている今、(旧来の価値観で)だめな人がだめなままの自分を生きられるような人生像が求められる。仕事ができなくても、恋人がいなくても、朝起きられなくても、好きだと思えることが何もなくても、こんな私もありだなと思えるような。

そのために必要なものがなんなのかわからない。わからないからとりあえず、すっかり落ちこぼれてしまった、だめなままの私を生きる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?