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いい寄付広告を見つけたので褒めてけなす

仕事柄、よくできた広告事例に出会えるように日々意識している。

広告賞の受賞作品をチェックするのも大事だけれど、街中でたまたまいい広告を発見できたときの嬉しさはひとしおだ。

発見した自分を褒めてあげたいが、それだけでは虚しいので、note民の皆様に自慢してみようと思う。


紹介したいのはこちら。

都営浅草線の中吊りで見かけた広告だ。画像はWaterAidの公式サイトから拾ってきた。

電車の中で寄付広告を見かけることなど、慣れたものだ。普段ならさっと眺めて無視するところだが、この広告を見たときはズキュンと衝撃を受けた。

発展途上国の子供たちの「惨状」を見せることで同情を誘うような広告アプローチはよく見かける。けれどそれらはどこか遠い国の、自分とは関係のない出来事のように見えてしまうものだ。

この広告は、その様子が他人事だという認識を抑えにかかっている。

日本と発展途上国の子供の様子を対比的に使うことで、つい比べてしまう。右の子はこんなに幸せそうなのに、左の子はなぜこんな生活を強いられているのだろう、と考えてしまう。


一方で、あやういバランスの上に成り立つ表現だな、とも思った。

広告ではないけれど、似たような日常表現として、「アフリカの子供たちは食べるものがなくて苦しんでるんだから、ご飯を残さないようにしなさい」というお決まりの文句がある。

左に飢えて痩せこけた子供の様子を写し、右に満腹の表情で食べ物を捨てる子供の様子を写せば、似たような広告は作れそうだ。

けれども、それは押しつけがましい「説教」にしかならない。

この広告が機能しているのは、真剣なトーンではあるものの、どこかユーモアを含んでいるからだ。

左右の子供は完全に同じポーズ。背負っているのはそれぞれ、労働の象徴であるポリタンクと、学業の象徴であるランドセル。右の写真が川べりで撮影されているのも芸が細かい。


といった感じで褒めちぎってきたが、この広告には、残念だなと思ってしまうところもある。それは、アクティベーション(行動喚起)の部分だ。

左下にひっそりと置かれた検索窓のビジュアルと、「お問い合せ・資料請求」用の電話番号。

ぼくは正直、この広告に心を揺さぶられたし、はした金でよければ寄付をしてもいいと思った。のだけれど、「ネットで検索するか、もしくは電話で資料請求をして寄付の方法を調べてください」という動線を見て心が折れた。

ぼくの衝動は、それほどの手間をかけてまで寄付を達成したいと思うほどの持続的なものではなかったからだ。


いま、クラウドファンディングがアツい。SHOWROOMも伸びている。ここnoteにも、おひねりシステムが搭載されている。

実益でなく共感に対してお金を支払うことへの、人々の心のハードルはどんどん下がってきているのだ。

ならば寄付広告だって、チャンスを迎えている。広告を見ることで生まれた衝動的な親切心を、逃がさずその場でキャッチする工夫が必要だったと思う。

決済動線に直結するQRコードを置いてみるのはどうだろう。ただ、車内広告のQRコードは周りの目を気にして読み取らない人が多いと聞く。ならばせめて、決済への簡単なステップを示す図表を挿入するだけでもいいかもしれない。

いずれにせよ、「寄付してあげてもいい」という気持ちを増幅させるのと並行して「でも、面倒くさい」という気持ちを削減してあげる工夫が必要だったと思う。


参考事例を2つ紹介したい。というにはフォーマットが違いすぎて、お粗末と思われるかもしれないが、単なる補足情報として捉えてほしい。


Social Swipe(ソーシャル・スワイプ)

ドイツの事例。デジタルサイネージの中央にクレジットカードを通す溝が掘られており、「飢餓に苦しむ人のためにパンを切る」「手にくくられた綱を切る」など、直観的に寄付の効果を体験できる仕組みだ。

Erasable Billboard(イレーザブル・ビルボード)

フランスの事例。寄付をすることで看板の一部を消しゴムで消すことができる。「縫製工場で働く子供たちの絵」の一部を消していくと、「学校で勉強している子供たちの絵」が現れてくる仕組みだ。こちらは寄付金の活用方法に対する直観的な理解に加え、「寄付が積み重なっていく様子の可視化」として機能している。


いずれの事例も、寄付に対する面倒くささを抑えると同時に、さらに一歩越えて「やってみたい」という気持ちを生み出している。

ただし、どちらも下品に楽しさを提供するわけではなく、あくまで「寄付」という文脈から離れない程度の真面目なトーンに、控えめなエンタメ性を加えているところがいい。

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