「存在意義の亡霊」のはなし

「逃げ恥」が再放送していますね。

放送時、毎週楽しみで楽しみで仕方がなくて恋ダンスは難しくて踊れなかったけれど「♪いーとなみのー」はずっと頭の中でリフレインしていました。

あの頃は単純に二人の行く末をやきもきしながら見守っていただけだったけれど、自粛期間の今、しょっぱなの情熱大陸風ナレーションで心が抉られた。それはもう深く深く。

私はずっと非正規雇用で働いている。ありがたいことに私の職場は非正規も在宅勤務を認めてくれている。やる仕事がなくても満額支給なのだ。我が家は、夫が今回の自粛の影響をモロに受ける業種なのでありがたい。ありがたすぎる。

ありがたすぎるのだが、同時に「私はいなくても平気である」という事実を毎日毎日、繰り返し繰り返し見せられ辛い。

どういうことか

私の職場には各係に非正規雇用が一人づついる。うすうす感じていたことなのだけれど私だけ仕事がないのだ。それはもうまったく。

私は私なりに人の嫌がる仕事も率先してやってきた「つもり」だったし効率化できることは提案してきた「つもり」だった。可能な限り仕事は丁寧にしてきた「つもり」だったし、自分が手伝えそうな仕事は自ら声をかけてやらせて「もらっていた」

多分、いや確実に「全部余計な事」だった。

私には何もない。何も残っていないのだ。

これは私もできる、あれも私もできる。でも選ばれるのは私ではない。ほかの人なのだ

正直、自分のふがいなさを棚に上げて羨ましい。卑屈になる。辛い。辛すぎる。存在意義が欲しい。存在意義の亡霊が付きまとってくる。

お前には存在する意義があるのか。価値はあるのか。

忙しく働いている人たちからすると私の状況は贅沢であることは重々承知している。でもこの緊急事態が、緊急事態ではなくなり「あいつの存在いらなくね?」って気づかれるのが怖い。

そう思われたら私は存在すらできなくなる。ギリギリ意義はなくても存在しているのに。

ありがたくお給料をもらって他の人の迷惑にならないようにおとなしくしてればいいことは頭ではわかってる。でも、こころは押しつぶされそうになっている。

認められたいのだ。必要な人になりたいのだ。

きっと私は滑稽に見えている。空回りの何の役にも立たない存在。

これからも「存在意義の亡霊」におびえながらわたしはいきていく

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