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“育児方針”って概念にドカーンと風穴あけられた話

そうです、ドカーンと開けた人は
トップ画からわかるさなえさんです。

昨年の7月に行われた
きいろいおうちfarmのトークショーでの
質疑応答コーナーで
私は真っ先に手を挙げ質問しました。
(こういう時、抱えているものあるなら迷わず頼ります!)

『4歳と2歳と姉妹喧嘩を好きなだけどうぞの私と
 すぐ仲裁に入るパパ。
 喧嘩で不完全燃焼するなら
 好きなだけさせればいいと思っているのですが…
 パパの考えは違うようです。
 こういう育児方針が合わないときどうしたらいいでしょうか』

早苗さんの回答
『パパはその喧嘩を見てるのが不快だから止めるんじゃない
 育児方針があっていても離婚することあるからね』
※ほかにも例を用いて回答してくれました。

ドカーン!!!
(バズーカで私の概念を撃ち抜く音)

さなえさんの講座やトークショーが爽快なのは
こうやって目から鱗を通り越して
モヤモヤしていたものを撃ち抜いて
綺麗さっぱり晴らしてくれるところです。

ママたちそれぞれが持っている
大事にしていることを
打ち砕くわけじゃありません!!!
バズーカほどの衝撃をくらうけど
モヤモヤだけを撃ち抜いてくれのです。
だからそのモヤが晴れて我が子を見れるから
愛おしさが増すのかと私は思っています。

話を私の概念を打ち抜いたところに戻します。
私は“育児方針は一緒がいい。”と、思い込んでいました。
そして自分がしている育児をしてほしいと思っていて
それを相手に求めている
…なかば強要していたのだと気づきました。
だから、自分と思っていることと違うことをされると苛立ちに変わる。
これはよく子育てで言われることと同じでした。
思い通りにいかないから苛立つ。
子どもだけではなく全てに当てはまる話でした。
言われてみればそうなのに…
当事者になるとすぐ気づけない。

元々、前回の投稿の考えややり方をしていたのに
子どもが絡むとどうも難しい。
それは私の人生のことではないから。
私のことだけであるなら決断はとっても簡単。
自分の思いをきちんと見つけて動けばいい。ただそれだけ。
でも、子育てに関しては
私ができることがあっても、決めるのは子ども達自身。
だから難しく悩むことも多く、つい自責の念に駆られ
試行錯誤の日々がずっと続く。
その分だけ子どもの成長に立ち会えているのだけど
悩んで考えている時は長く辛いこともある。

だから私だけが
できることをもちろん子どもたちにする!
そして、私が出来ないこと思いつかないことなど
別のことはパパや親族、友人、
学校やその他のコミュニティでも育んでもらう。

だから私は子育ては1人じゃやるもんじゃない
と、言い続けていきます。

誰にも押し付けず、
それぞれが考えて取り組んで協力して見守ろう!
自分だけでなく、人に頼って頼られて
みんなで環境作って過ごしていこう。

当たり前の日常にするには
まず自分から。

言語化すると自分の頭の整理ができるなも
思うようになってきたnote生活です☺︎