フーコーにおける「統治」概念2

■司牧の統治/近代の統治

前回確認した「司牧の統治」と「近代の統治」の類似性だけではなく、両者の差異を見極めることが、この講義全体を貫くテーマであるのだが、ここでは議論を先取りする形で16世紀の「統治術」に見られる特徴を確認しておこう。なお、フーコーの引用はすべて、重田園江『統治の抗争史』(勁草書房)からの孫引きである。

フーコーは君主による統治(政治)のモデルとして、家の統治(エコノミー)が近代国家の生成と共に重視されるようになったと指摘する。

「いかにエコノミーを導入するかが問題でした。エコノミーとは、個人、財産、富を管理するやり方、家庭内でよき家父が行うように、妻、子ども、使用人を指導するやり方のことです。よき家父は家産の殖やし方、財産を殖やすための婚姻関係の結び方を知っています。この注意深さ、細心さ、こうした家族に対する家父の関係に当るものをいかに国家運営に導入するか。つまり、政治実践の中にエコノミーを導入することこそが、統治に本質的に賭けられていたことだったのです」(フーコー1978)

国家統治にエコノミーを導入するとはどういうことか。フーコーは次のような対比で説明する。「法は、領土とそこに暮らす領民を対象とする。ところが統治は、領土や領民ではなく〈物事〉に関わる」(重田、前掲書、p32)。この「物事」に関わる(対象とする)というのが少し分かりにくい。どういうことだろうか。

「ここでいう物事は、たとえば所有権や主権の獲得といった法や権利の対象とは異なる」(同上、p.35)

統治もまた領民とは違った意味での「人間」に関わる。フーコーによれば統治の対象とは「物事」だった。だから、統治は物事との関りにおける人間を対象とする。

「統治が関与するのは、領土ではなく人間と物事からなる一連の複合体のことだと思われます。つまり、[…]人間、ただし富や資源や食糧やもちろん領土といった物事、また国の特徴、気候、旱魃、肥沃度などの物事との絆をもちそれらに結びついた人間です。また、慣習、習俗、マナーや思考様式などとの関係のなかにある人間です。さらに、飢餓や疫病や死といった偶発事や不幸といった物事と関わる人間です」(フーコー1978)

効果的に統治するためには、統治の対象についてよく知っている必要がある(★)。例えば、「ある地域の人口を増やしたいなら、その地域の気候風土や農産物の特徴、どこに町がありどんな住まい方をされているのか、領民と行政当局との関係は良好かなど、細かい実情を知らなければならない」(前掲書、p.36)

統治は対象としての人々や物事についての知を積み上げることで、国を豊かにし発展させることを目指す。こうした対象についての知が、統治の対象としての「物事」なのである。

★ 知と権力。「知‐権力」という表現を見て当惑したことはないだろうか。知(知ること)と権力の関係を理解することはフーコーの権力論を理解するうえで要点の一つなのだが、ここでは以下の引用をもって説明に代えよう。
「〈近代国家の生成〉というテーマを扱う際、フーコーがそれを道徳との関係あるいは宗教との関係ではなく、まず何よりも認識との関係、〈知ること〉との関係で捉えているということだ」(重田園江『ミシェル・フーコー──近代を裏から読む』ちくま新書、p.149)
「フーコーが分析した人間と社会に関わる領域では、対象を知ること、あるいは認識可能な存在として対象そのものを生み出すことが〈知〉とされる。そして、その知が権力行使の際に、すなわち人が人と関係を取り結び、それを何らかの型にはめこむことで他者の行為を制御しある方向に向かわせる際に、利用されるのだ」(同上、p150)

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