チェルシー販売終了について考えてみた

チェルシー、なんか思い出したときに食べたいってなるあれ。
ネットみてたら「応援したいのに買ってないから販売終了は仕方ないよね」とかいう感じで考えている人もいるみたいなのだが、ここはもっと闇が深いのではないかと思う。
長く続いている商品とかサービスについてだが、それなりのファンがいるということだ。
それを振り切ってまでやめてしまう。
これは漫画とかで例えると、今人気の漫画以外の漫画すべてを打ち切りにして流行ってるやつだけ残すってことだ。
多様性もくそもない。
でも、時々あれ食べたいかもって買いにいった飴が無くなって、流行りだとかバズったとかいうよくわからんやつだけ食べるようになる・・・
だけど、なんか一番シンプルなアレ・・・アレが食べたいんだけど・・みたいなときの逃げ道が全てなくなる。

私はマイナーな漫画が好きな方であるが、つまり整理されると、マイナーといわれる漫画が全部狩られてしまうということだ。これはとても危険。
鬼滅だフリーレンだ!とかいってたらそれ以外の本は本屋で置かれなくなる。いや、別に私鬼滅とかフリーレン以外のやつ読みたいんだけど・・・みたいなときに「あれ以外は人気ないので全部出版されてません」みたいなことになる。

これはすごく危険だとおもう。

一時期転生ものが流行った。今もまぁまぁ流行っているか。
悪役令嬢も流行った。
だが、正直飽きる。飽きたときに、ガッツリストーリーよみてぇわってなって昔の漫画とか読もうと思ったらもう流行ってないので取り扱ってないですみたいなことを言われる・・という感じだろうか。
しかも、便乗して作られた話は半分以上つまらん。だいたいつまらん。
まぁそれはおいとくが・・

そこで新しい流れを作るか、みたいな感じで別の世界みたいな話とか、戦いメインにするとかの話を描くとしよう・・すると出版社とかから「あーwwwいまそれ流行ってないんでその設定で異世界にしませんかwww」とかよくわからんことを言われてしまうだろう。

漫画とかの方が好きなんでそっちに話をもっていってしまったが、流行りだけを追うというのは多様性がなくなる。
スケートも好きだからいうけど、昔は技術とか踊りとかの方が重視されていたんだが、今の採点方式はジャンプがどれだけ飛べるかみたいな、そういう数値化されてすげぇみたいなやつだけになってきている。

まぁなくなってしまうのをごちゃごちゃいってたらあれなんだが、そういう遊びの余力みたいなのが今無くなっているんだなと思うとすげぇ危険なことだなと思う。
時間をかけて完成されていくものがあるのに、今の価値観だと最初から最高レベルみたいなのが求められすぎてるんだなぁという。
「急にやってもできる」は基礎がしっかりしていないとできないことなのだが、最近「急にやってもできない」=「面白くない」みたいな感じになっている・・個性でカバーするんだよ!みたいな役割分担があるけど、その役割だったこなせる!とかが注目されがちになっているけど、そこなんとかしないと危険だなと思う。


すべてを持っているのに、すべてを持っていないひとたちのかたまり。

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