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アメリカの入学式

 妹の犬が皮膚炎にかかったとのことで、クーラーを全開にして冷やしていた。温めると、皮膚炎に良くないらしい。再婚に失敗して出戻った妹には、娘がおり、娘と飼い犬、ゴールデンレトリバーを連れて出戻ってきたので、一気に家が狭くなった。電気代もガス代も、その他、町内会費とかも兄の沽券で全額支払ってやっていたが、ほら、最近電気代が高いじゃない?自分らがバイトとか、アイスクリームを買いに都会にドライブしとる時は、部屋には犬しかおらんわけですよ。そしてエアコン設定は最大強度の18度になってるんですよ。
 イライラした。26度でもええやろと思い、リモコンを探すと、リモコンに貼り紙がしてあって、「切ったり室温を下げないでください。犬が死にます」とマジックで注書きされてあった。さらにイライラした。というか、口で言えや、と思った。俺が仕事からヘロヘロになって戻ってきても「お帰り」も言わず、部屋に閉じこもっている。妹の娘も妹に輪をかけて不愛想で、再婚に失敗したのも無理からぬこと、と思えてしまう。

 台所に回ると、俺の食器だけそのまま盥につけてあった。自分らの食器だけ峻別して洗い、すぐさま拭き自分らが浜松から持ってきた食器用カラーボックスに収納している。二世帯住宅を気取っているが、この水道代も、食器用洗剤代も、ぜんぶ兄の金ではないかとムカっときた。

 こういうことは、職場の、老人介護施設のパート長のメイちゃんにいつも聴いてもらっている。メイちゃんのお姉も同じ職場で働いていて、介護主任だ。二人とも五十を越えて、孫もいるけど信じがたいほど美人だ。メイちゃんが「君がアパートとか町営住宅を借りて別居するしかないな」とアドバイスをくれる。「しかし、もともと俺の家やねんけど。なんで俺が出て行かなあかんのん?」と反論すると、ケラケラ笑い出した。くそ、美人だから許すが。リビングのテレビでは、アメリカの高校の入学式で銃乱射事件が起こったと小さい音声でニュースが流れていた。お爺やお婆が、天気予報を見るように、平然と画面を眺めている。ただ、しっかりしてるイワ婆だけは「ああ、なんてことを」と真剣に報道を目で追っていた。
「ほら、あんたも暴発して、妹や姪に危害を加えたら刑務所行きやん?別居した方が安全やで~」メイちゃんが利用者のお茶を継ぎながら、アドバイスを継いでくれる。なるほど、一理ある。娑婆にとどまるためには、家を出るのも一つの手か。いや、そうかな~、なんか違う気がするけどなー。

 へろへろになって帰宅すると、玄関にへっへっと、散歩から帰ってきたばかりの犬が喘ぎながらくるくると回っていた。首にパラポラアンテナの傘みたいなやつを巻かれていた。ほっぺたを後ろ足でガリガリ掻けないよう、妹たちにブロックされていたのだ。良く見ると、ほっぺたというか、首周りの毛がごっそり抜けていて、ついにアンテナをかぶせられるとこまで行き着いたらしい。後足で掻こうともがいてるが、傘で掻けないでいた。妹が雑巾で足を拭きながら、小声で嫌そうに「おかえり」と言った。犬は散歩疲れと掻き疲れで、ずっと息を切らしている。
 なんて惰弱な犬なのだろう、と負の感動を覚え、堆積した悪意がぱさぱさと削げた。


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