見出し画像

恋せぬふたりを観ました⑦⑧


連続投稿になりましたね。

こちらも一気見の続きです。
7話と8話は、「アロマンティック・アセクシャルに触れて、受け入れた人たちの終着点」
みたいな印象でした。
全て解決はしないけど、それぞれの行先が落ち着いたような。

メインが咲子さんが多かったので、
高橋さんのエピソードが少し掘り下げられたのがちょっと嬉しかったです。


やりたいこととできることのバランスについては、
自分もお芝居をしながらよく考えます。

好きなことを続けるって、楽しいことだけではありませんからね。
新しいことを始めるのも、(それがどんなに好きな事でも)不安はつきものですし、
すごいエネルギーを使いますので、私も現状維持は選びがちです。

生活の中で妥協することって、どんなレベルでもたくさんあります。
そしてそれに慣れると、妥協することを普通だと思ってしまうと、
見えなくなるものもたくさんあるのかなと。

実家から出た際、自分の城を築くつもりで家具を吟味しました。
長く使うつもりなので、少し時間がかかっても気に入ったものを、と。それこそ妥協なく。

ガラスの小物が好きなので、今部屋にはガラスのペンダントライトが下がっています。
実家の照明は機能性だけで特に気にしたことがなかったのですが、
そもそもその選択肢が自分の中ありませんでした。
好きなものに妥協をしない私が、
「照明器具も選ぶ」という新しい視点を得ました。
おかげで毎日部屋に帰るのが楽しいです。

人との関わりではもちろん大人な対応が求められることも、
社会では必要最低限の常識や、人との距離感で配慮がいりますので
決して全て個人の好きなようにすることを妥協がない状態とは思いません!

ルールあった上の自由というか。
でも自分で思う常識を相手に強要するのも、なんだか違うと思うので
そこもなかなか難しいポイントですね。

自分のやりたいことを追いかけながら、
いろんなことを自分向きに整えることって、
そんな簡単にはできないことだと思います。
自分の過ごしやすさが続けば、ストレス社会なんて言葉はきっとありません。笑

自分と周りを大切に、豊かにするための選択肢に向けて使われた
「いいとこ取り」って言葉が、ドラマを観る前よりさらに魅力的に感じました。


ドラマとしての構成も素敵でした!
「2人って付き合ってるの?」という周りの知らない声がまたかかってきて、
そこへの1話の冒頭との反応の差には思わず微笑んでしまいました。

高橋さんが引っ越しで家を出る時、
おばあちゃんの遺骨があった場所からの、
「行ってらっしゃい」が聞こえそうな視点も素敵でした。

部屋の小物や点在するランプも、
印象的な赤と青のコートをはじめとする衣装も、すごく好きでした。

最後の「わたしの幸せを決めていいのはわたしだけ」という咲子さんの台詞が、
他で話している時とは違って強くて、嬉しかったです。


人と人の中で生活しているので、
周りを全然気にしないなんてことは私にはすごく難しいです。
アロマンティックアセクシャルを、自分でも理解しきれたかと言われたら素直に頷けません。
今後自分がどうなるのかも、わかりません。

アロマンティックアセクシャルのまま、パートナーが欲しくなるかもしれない。
誰かに恋愛感情を向けるかもしれない。

型にはめない、既存にとらわれないっていうのは、
思考が固まりがちな私が忘れたくないことの1つです。

できれば知らない考え方にも触れたいし、
それに対してどう思うにせよ、そういう人もいるな、と受け入れられる自分でいたいと思います。

こういう気づきや、notoに感想を載せて自分の考えの整理のきっかけにもなりました。

アロマンティックアセクシャルという、
人に話すと98%くらいで「初めて聞いた」と言われる題材を取り上げて作品を作ってくれた関係者の方々、ありがとうございました。
きっとドラマを観て興味関心の出た人が、沢山いたと思います。

最終回から少し時間がかかりましたが、
「恋せぬふたり」への、アセクシャルの私の感想はこちらで終わります。
個人的な感想にお付き合い頂き、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?