もうひとりの/妹の話。

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先日から少しばかり気持ちが沈んでいます。

悩んで考えて「こうしよう」と決めたことにさえ疑問を抱いてしまっていて、そんな自分も嫌で。

ぐるぐる考え事の沼に嵌っているうちに、ふとこの詩を書こうと決めました。


『枯野 常』という一人の人間は、生まれてくる前に一度死にかけています。切迫流産、という言葉を初めて学んだのは母の口からでした。

そのせいか幼いころから体が弱く、毎年その時期に体を壊すのもきっとそれが理由ね、なんて母が言うものだから、絶対今年は崩さないぞと決めてはそのあとに高熱を出す、なんていうこともしばしばで。

昔はよく、自分の体を呪っていました。


さて、自分語りはこれくらいにして、妹の話をしようと思います。

冒頭に乗せた詩を投稿した際にも、「生まれてこなかった妹」の話をしました。

実はこの話は、母が私に無意識に植え付けた呪いだったりします。

その日、母はなんとなく「そうかもしれない」という意識がある程度で、まだ病院には行っていなかったのです。

そんな中、父が遊びに来ていた親戚の子供たちとバドミントンで遊ぶように、と母に言いつけたそうで。

具合の悪かった彼女はそれを断ったようなのですが、結局機嫌を悪くした父や親戚に再度促され、遊ぶことになり。

体を動かし、転んだ結果、翌日から高熱と不正出血で魘される結果となりました。

本当にそれが私にとっての妹の喪失であったのか、母の体調不良であったのか、今ではもうわかりません。

ですが彼女は、幼いころから何度も何度もこの話を私に聞かせました。

「常ちゃんには、妹がいたかもしれなかったのよ」と。詳しい話や、付けようとしていた名前も添えて。

当時兄弟に憧れていた私は、その度に離婚した父のことを呪いました。

ですが、母は更に言うのです。

「でも、妹が生まれていたら、お父さんからは逃げられなかったわね」

「常ちゃんのこと、自由に学校に入れてあげられなかったかもしれなかったわね」

と。

なんということでしょうか。

父から逃げ、母と二人で暮らし始め、紆余曲折ありながらもなんとかここまで来た私の足元には、つねに「会いたかった」という思いを抱く妹の亡骸という犠牲が転がっていたのです。

希望通りの学校に入り、学びたいことを学び、いまこうして文字を打っている私も、彼女がいなかったから存在している。

そんな罪の意識を、ふっと浮かんだ泡のように思い出します。


ここまでで、お気づきでしょうか。

まだきちんとした診察も受けていない、「可能性だけの存在」。

だというのに、母はそれに性別を見、名を付け、そして確実に「居た」ものとして振る舞っているのです、今でも尚。

だからこれは、ある種の呪いだと私は思っています。私と母の間にある、小さな小さな幻覚。でもそれは、どこか現実を帯びていて。


IFの可能性を、こういう時によく考えます。

私が生まれてこなくて、妹が「長女」だった世界。

私も妹も生まれていて、父から逃げられずに壊れていく母を見る地獄。

もしも、もしも、もしも。

考えても仕方がないことなのはわかっています。

現実私は一人っ子で、妹は無く、父から母はなんとか逃げ出しました。

そうして今私は、第一志望だった学校を卒業し、病気と闘いながら書きたいものを書いて生きています。在ったかもしれない犠牲の上で。

もうひとりの、は、妹のことでもあり、私のことでもあると思いつけたタイトルでした。


呪縛からは、逃れないと。

口に出すのは簡単ですが、どうにも上手くいかなくって。

ずっと言い聞かされてきたものだから、勝手に人格まで作ってしまってるんですよね、心のどこかで。

でもいつかはこの「犠牲の上に立っている」という呪いを解きたいな、とおもいます。「妹」のことは忘れたくないけれど。


最近ずっと、考えが頭から離れなかったので気持ちの整理を兼ねて書いてみました。

純然たる自分が足りをここまで読んでくださり、ありがとうございます。

それでは、またどこかで。


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