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2018.11.23〜24日記「不可逆性に溢れた世界で」

23日

朝:なし

昼:うどん

夜:スパゲティ

24日

朝:なし

昼:なし

夜:ラーメンと肉ご飯

もうこんなに前に何をやったのか全く覚えてないぞ。私は一体この休日の二日間は何をしていたのだろうか。恐らく何もしていなかったのだろうけれども。

いや、確か22日は多少お仕事をやった気がする。文書の推敲作業くらいなのですぐに終わって暇になったので内村さまぁ〜ずとかを観ていた。

それとゾンビランドサガ8話をファミレスで観たな。8話は離別の悲しみをストレートに描いていたので、そりゃまぁ当然泣けるよねという感じのお話になっていた。例にも漏れず私も泣く。ファミレスでふぐぅ、と声を漏らしながらの号泣である。

ゾンビものなので離別の悲しみを死者視点で描けるのが目新しかった。作品の新規性という意味ではなく最近「残された人の悲しみ」に焦点を当てた作品ばかり観てきたので(「若おかみは小学生」とか)。死者視点で離別の悲しみを描いているものとしては幽遊白書の1話とかが類型である。

死は永遠の離別であり、かつ不可逆的である。そんな当たり前の事だけど、最近お父さんが死んでしまった私は実感としてそのことを強く感じるのである。最近と言ってももう四十九日も終わってからずいぶん経つため、大分落ち着きはしたのだけど、それでも以前より強く世界の不可逆性を感じるようになったと思う。

ゾンビものはその不可逆性にある意味反すると言えるんだけど、ゾンビランドサガは「アイドルを目指す」という主軸があるため、ゾンビであることを隠さなければならない。なので、生前に共に過ごしていた人達と生きていくことはできなく、生き返ったのに離別し続けている状態であると言える。

そんな永遠の離別があるからこそ、ゾンビものなのだけどリリィの歌は、不可逆な死に溢れた世界に住む私達にも共感を持って刺さるのである。そして泣けるのだ。

人はいつか死ぬ。だけど、共に生きてきた日々は思い出になり、人の人生を彩り続ける。思い出の支えがあるからこそ、人は前を向いて生き続けることができるのだ。限られた時間を精一杯生きようと、そう思わせてくれる素晴らしい作品であった。

しかして翌日、私は限られた人生の一日をずーーーーーっと寝て過ごしたのであった。人は変わらねぇ!

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