思い出せなかった1日目と、脳裏に焼きついた2日目
「さあ、コルクラボ合宿、ふりかえろうかな。」
と、意気揚々と思い返して、愕然とした。
「あれ、1日目なに話したっけ?自分、どんなふるまいしてたっけ?」
と。
ぼくは3/16-3/17の2日間、「コルクラボ」という、編集者の佐渡島さんが主催しているコミュニティを通じて開催された、1泊2日の合宿に参加させてもらいました。
合宿の中では、山田ズーニーさんのワークショップを受けさせてもらい「1日目は、自分自身のことを、伝える力を身につける」「2日目は、大切な人に、伝える力を身につける」という形で、ワークショップが展開されていきました。
同じ参加者のみんなの一言一言が、ぐさぐさと心臓の奥深くまで刺さるような合宿でした。だから
当然のように、ありありと脳裏に記憶が焼き付いていると思い込んでたので、
「もう少し、濃い目の密度の脳みそで、世に生を受けたかった、母よ。」
って、一瞬、謎に母親を呪ったんだけど、よくよく考えてみると、1日目はあんまり覚えてないのに、2日目のことは、ひとつひとつの言葉が鮮明に焼き付いていて、なんで1日目・2日目でこんなに違うのか、改めて考えてみました。
▼影響をうけないように踏ん張った、1日目
ぼくが中学生の頃あこがれてたのは、「マイケル・ジョーダン」と「ロボット」でした。
「マイケル・ジョーダンのように高く飛べて、ロボットのように感情がなかったらいいのにな。そうすれば、心落ち着く週末が終わったあとの月曜日、学校の塀を軽々と飛び越えて、こんなにさみしい1日を迎えることも、ないのにな」
って、ほんとうに憧れて、なんとか、近付こうとしたことがあります。
そして、合宿でワークショップがはじまって、みんなの告白を聞いていく中で、なんだか、このままほっとくと、色々閉じてる感情のふたとか、がばがば開いちゃいそうだなって、ちょっと、不安になったんやよね。
だから少しだけ、昔なつかしロボットでいようと踏ん張ることに意識を向けた結果、みんなの声を聞いてるようで、それはただ、話の文字列をひとつひとつ、拾い集めているだけだった気がします。
みなさん、ぜんぜん聴いてなくて、ごめんなさい。そして、1日目に自分自身が話した内容すら、覚えてなかったよ。
▼ちゃんと聴かなきゃと踏ん張った、2日目
そして、1日目が終わるころになって、ふと思いました。
「あれ、おれ、この合宿なんのために来たんだっけ?」
と。合宿参加に惹かれたきっかけは「言葉を紡いで、一歩踏み出すきっかけに」って言葉が、心にひっかかったからだったはず。
「言葉紡いでないじゃん。そして、紡がれた言葉も、全然聞いてないじゃん」
と。
合宿に参加している人の顔と同時に、この合宿に参加できなかった人の顔が思い浮かんで、このまま合宿が終わったらって、強烈な後悔とともに、2日目の朝を迎えました。
そして2日目を迎えて、なんとかみんなの話しを聴こうと、自分の言葉を紡ごうと、拙いながらも、ほんのわずかに、踏ん張ってみました。
でも、聴こうと耳を傾けたみんなの話しは、あまりにほんとすぎて、思いにあふれていて、話している人の顔を見ることは、結局、なかなか難しかったです。それでも、忘れ去れないほど、一言一言が、脳裏に焼きつきました。
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と、そんな1日目と2日目の記憶の違いのように、感じました。でも合宿が終わった後、振り返りを参加者の人としていたら、同じように1日目と2日目で記憶が少し違うと言ってくれてた人もいたんだけど、その理由は、自分とは、全然違ってたんやよね。
みんなは、どうやったんかな?1日目も2日目も、同じ記憶が焼きついてるのかな?それとも、時間が経つごとに、濃い記憶が焼きついていったのかな?
そんなことをふと思って、ノートに書き残してみました。
※写真は、1日目にも関わらず、自分の記憶に強烈に焼き付いた、絶景の写真です。
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