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私の中のイカしたばあさん

年の瀬ですね。

今年は私にとって
チャレンジの年でした。

インスタグラムで
からすのえんどう通信社の
「からすのえんどう新聞」を書き始め

なんとか今日まで
週刊での更新が継続できました。

私の住んでいるところは
田舎だけど

森がある、とか
海があるとかの
自然が美しい感じの田舎ではなく
少しごちゃっとした郊外。

ばえないおばさん(私)が
ばえないばしょで
輝きなんて紡げるのか。

また、

締切に追われて
心がフルフルするような感動が
見えにくくなったこともありました。

芸術の高みで
感動を紡いで生きている人を
見かける度に

自分はそうなれない
という閉塞感や

日々是
一心に美しいものを追求して生きる、
そんな活躍ができていない
自分への焦りも感じました。

しかし数日前のこと。

スーパーで日用品を買い込んで
レジに並んでいた時

先に並ぶ
おじさん、おばあちゃんの姿を
見ながら

こうして
おだやかに買い物をして
日常生活を送れることの
ありがたさを感じました。

心がふっとほぐれて
その隙間に
ある感覚が流れ込んできました。

それは

すごいわけでも
映えるわけでもない
日々の暮らしだって
本当はぴかぴかに輝いているんだよなぁ
という感慨でした。

イカの唐揚げのパックからも
特売のネギからも

日常という輝きが
たっぷり、たわわに溢れています。

それは
波のように自分の心に
せまってきて

感動で震えるとき特有の
キラキラ、フルフルする揺れを
ともなっていました。



すんごいクリエイティブな現場で

人が唸るような
すんごい仕事をできていなくても

いわゆる
すんごい人になれなくても

自分の素朴な日常に
ちゃんとフルフル要素は居てくれたんだ
と知ったよろこびで少し泣きました。

私の中には理想の
おばあちゃん像があります。

真っ赤なスカートとかを履いて
死ぬまでクリエイティブでいたいのです。
何か書きものなんかしてね。

イカしたばあさんは
私の中に眠っています。

いつか彼女を
揺り起こすために

私はまず、
イカしたおばさん
になろうと思います。

来年の目標は
イカしたおばさんになる、に
したいと思います。

まず
この日常の
あったかくて切なくて愛おしい
フルフルを
どうやって伝えていくか
そのへんと
真剣に向き合っていこうと思います。


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