私の中のイカしたばあさん
年の瀬ですね。
今年は私にとって
チャレンジの年でした。
インスタグラムで
からすのえんどう通信社の
「からすのえんどう新聞」を書き始め
なんとか今日まで
週刊での更新が継続できました。
*
私の住んでいるところは
田舎だけど
森がある、とか
海があるとかの
自然が美しい感じの田舎ではなく
少しごちゃっとした郊外。
ばえないおばさん(私)が
ばえないばしょで
輝きなんて紡げるのか。
また、
締切に追われて
心がフルフルするような感動が
見えにくくなったこともありました。
芸術の高みで
感動を紡いで生きている人を
見かける度に
自分はそうなれない
という閉塞感や
日々是
一心に美しいものを追求して生きる、
そんな活躍ができていない
自分への焦りも感じました。
*
しかし数日前のこと。
スーパーで日用品を買い込んで
レジに並んでいた時
先に並ぶ
おじさん、おばあちゃんの姿を
見ながら
こうして
おだやかに買い物をして
日常生活を送れることの
ありがたさを感じました。
心がふっとほぐれて
その隙間に
ある感覚が流れ込んできました。
それは
すごいわけでも
映えるわけでもない
日々の暮らしだって
本当はぴかぴかに輝いているんだよなぁ
という感慨でした。
イカの唐揚げのパックからも
特売のネギからも
日常という輝きが
たっぷり、たわわに溢れています。
それは
波のように自分の心に
せまってきて
感動で震えるとき特有の
キラキラ、フルフルする揺れを
ともなっていました。
*
すんごいクリエイティブな現場で
人が唸るような
すんごい仕事をできていなくても
いわゆる
すんごい人になれなくても
自分の素朴な日常に
ちゃんとフルフル要素は居てくれたんだ
と知ったよろこびで少し泣きました。
*
私の中には理想の
おばあちゃん像があります。
真っ赤なスカートとかを履いて
死ぬまでクリエイティブでいたいのです。
何か書きものなんかしてね。
イカしたばあさんは
私の中に眠っています。
いつか彼女を
揺り起こすために
私はまず、
イカしたおばさん
になろうと思います。
来年の目標は
イカしたおばさんになる、に
したいと思います。
まず
この日常の
あったかくて切なくて愛おしい
フルフルを
どうやって伝えていくか
そのへんと
真剣に向き合っていこうと思います。
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