見出し画像

13歳だった : 観察眼を教えてくれた友達の話

中1時代の友達の話をします。同じ塾に通い、塾が終わると、途中まで一緒に自転車で帰ってくるのが日常でした。当時13歳。時間はたくさんあって、分からないことも、話したいことも尽きることがありません。自転車を止めて、5分10分と、「また明日」と言うのを惜しむかのように、いろんな話をしました。

彼との友情と交流は私の視野を広げ、成長を促しました。彼から学んだ教訓と経験は、私の根幹の一部です。彼には、少し上の世代のお兄さんがいるため、その世代の文化も知っていました。例えば当時、連載が終わっていた『うる星やつら』を全巻貸してくれたり、あるいは、B'zやTM NETWORKを教えてくれたのも、彼でした。B'zの曲には、また様々な思い出が積み重なりましたけれども、 TM NETWORKに関しては、少年時代に深い話ができる友達がいてくれたなあ、という感慨とともに、今も心の中に記録されています。

彼は私に他人からどう見られるか、観察眼の重要性、そしてユーモアの持つ力を気付かせてくれました。

中学1年の春の頃、仲良くなったばかりで、「その事は保護者の許可を取るね」という意味で、「母に確認する」と言ったら、「マザコン」と言われました。 自分としては事実を言っただけなので、とても不名誉で、「去年の冬に父を亡くしたばかりで、保護者は母一人なんだよ」と手短に説明すると、すぐに分かってくれ、彼は二度と私にそのようなことは言いませんでした。私も必要がなければ、母と言わずに、親と表現することを学びました。

13歳の私が彼を観察して、彼の最も秀でた部分は、ユーモアだと認識しました。テレビでお笑いを見て真似をするという意味ではなくて、観察眼が鋭い少年です。例えば、「A先生の授業はクラスがうるさくなるのは、A先生が逃げてるからだ」とか、「理科のB先生は怖い感じだけど、高橋留美子の話はしてくれるぞ」といった形で、大人も子どもも、良く観察する少年でした。
そんな観察を踏まえるから、唐突に「スリジャヤワルダナプラコッテ」と彼がつぶやくと、言葉の意味ではなく、語感・質感と文脈が重なって、笑いが生まれました。「場」を共有出来ないので説明しにくいですが、ガルシア=マルケスのように日常と非日常を融合させる、魔術的な言葉の力を帯びた少年を、ご想像下さい。

友達との関係は、私の自己形成に重要な役割を果たしています。当時、コミュニケーション能力を鍛えようという意識は全くなく、ただ自分の友達の長所を見習うことに集中しました。私にとってユーモアの原点は、彼です。例えば、河合隼雄が著書でジョークを書くとして、ただ笑うだけでなく、それは何が面白いのかや、河合隼雄は何を意図したのか、考えて、観察しました。観察を重ねることで、私自身のユーモアを育てました。もし私に良いところがあるとすれば、それは見習いたいと思える友達に恵まれたからです。彼をきっかけに意識したユーモアは、困難と直面した時に、笑い飛ばす力をくれました。

思春期、多感な時期、自己形成を始める頃に、良い友達がいてくれたことは、私の人間観に大きな影響を与えました。
それはまるで、人を信頼する際の「入場券」のように。


サポートする値打ちがあると考えて下さって感謝します! 画像生成AI学んでるので、その費用にさせて下さい。 (ポテチとガリガリ君も、つけるかもしれませぬ)