レオンに対する現代の批判も理解するけれど、殺し屋が圧倒的不利を冷静に理解し、躊躇なく自分の命をマチルダの未来に賭けたことも、見て欲しい。

ナタリーは、「今も愛される作品ですし、皆さん、私が他に出演したどの作品よりも興味を持ってくれています。それに私にキャリアを与えてくれました。ですが今見直してみると、控えめに言っても不快な描写があります。ですから、私にとっては複雑な思いのある作品です」と語る。

ナタリー・ポートマン、出世作『レオン』には「控えめに言っても不快な描写がある」 | Vogue Japan


ナタリーポートマンはこうおっしゃっています。彼女の指摘を否定しません。

この問題を個人の感じ方から、社会へと広げて考える上で、ナボコフの『ロリータ』(1955年)を確認しましょう。少女性愛者ハンバート・ハンバートは、ロリータを手に入れるために、彼女のお母さんとも関係を持ちました。一言で言うと貪っています。

対して、『レオン』(1994年)は、移民の子どもで、マチルダから文字を教わる点を見ても、お金を仕事の斡旋するオヤジに巻き上げられていますよね。彼は殺し屋です。善悪ではなく、他に生き方が無かったのでしょう。ナタリー・ポートマン演じるマチルダを庇護し、擬似家族として、おそらく生涯唯一の穏やかな生活を得ます。

指摘のあるモンローの真似に関しては、チャップリンの真似もしていて、映画とユーモアのシーンの一部だけを切り取っていないでしょうか。

何より、レオンは自己犠牲というより、敵との戦力差を理解して、負けることは織り込み済みで、どこで自分が効果的に死ぬかを考えています。極めて冷静に。

レオンは殺すか殺されることでしか、無性の愛を与えられません。マチルダは、冒険を終えて、日常へ帰っていきました。レオンには手が届かなかった日常で、新たな人生を生きます。

これは、レオンからの、最大の贈り物ではないでしょうか。マチルダの保護者のしてくれなかったことです。

現代の価値観があります。ナタリーポートマンが、子どもだったから分からない点は、傾聴すべきです。だけど、1994年にフランスで封切られた作品で、29年が経過しています。あの頃の、社会もまた、未成熟で不勉強でした。

今は嫌だという意見も大切だけど、作品の魅力と両立し得ると思うのです。それに、1980年の漫画を思い出してください。例えば少年サンデーのあだち充『みゆき』は、血のつながらない妹に家事を全てやらせています。高橋留美子の『うる星やつら』の初期はLGBTQ+への不適切な発言がギャグになっています。サンデーのレジェンドのお二人をもってしても、時代には縛られます。読んでもらうとご確認頂けます。現代では無理な表現があります。だから、世界の進歩は遅いけど、確実に変わっています。


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