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ファンノベルという新しい概念、その1

▼短編

『風丸 白 様』


●〇●〇


 事は成してしまえば、存外大したことは無い。難しいと言うとすれば、それは何か難しいと言わしめる何かがあるのだろう。それは一朝一夕にどうにかなるものではないのかもしれないし、あるいは単にする意思がないことを、難しい、という言葉で片づけてしまっているだけかもしれない。それ自体に良い悪いというレッテルを貼れるものではないが、少なくとも、出来ないと出来るけれどやらないというのは分けなければならない。

 特に言葉などはそうだろう。言葉は意思疎通のツールであるがゆえに、意思を伝える、というのが存在意義と言っていい。伝わらない言葉は、ただの記号であり音だ。言葉を音として、耳触りの良い流れや音拍で活用することは、音楽や書き物ではもちろんよく意識されるものではあるけれど、それは表現方法としての芸術的利用であり、その表現の中での主人公は言語としての言葉ではない。その場合、直接言っている、書いてある言葉自体の重要性は低く、それよりももっと読み取って欲しいと思うなにか、主人公となるなにかがいるわけだ。

 で、あるならば、逆に言えば、意思疎通の為の言葉、主人公として言葉を利用するのであれば、それは言葉それそのものが伝わるものでなければいけない。考えてもみて欲しい。写真の展示会の中に唐突に抽象画が混ざってきたらそれは異質に、場違いに感じることだろう。多数決。周りが写真で表現しているのならば、写真で表現しなければ伝わらないのだ。そしてそれは、言葉に限ったことでもないというのも覚えておいて欲しい。

 風に揺れた草木の擦れ合うごく僅かな音だけがさらさらと流れる静謐の中で、原稿用紙の上を滑る硬筆の音がとめどなく続いていた。

 不意に筆が止まり、部屋を静寂が満たす。

 書き物をしているとどうしても悩むことはある。ここの表現はどうしようか、どうしたら感じた気持ちが伝わるのだろうか。所詮文字という記号であるこの五十音で、的確に情報を伝えつつそこに伝えたい感情を織り込まなければいけない。文字という絹糸で目の細かさだけを調整して文章という絹に想いという柄を浮き出させるわけだ。当然のように難しく、当然のように美しい。だからこそ彼女は、文字が好きだった。

 この先はどうしようか。頭の中で一つ一つ言葉を織っていると、廊下からどたどたと床を踏み鳴らす音が耳に届く。最近は彼女が歩くだけでも悲鳴を上げていた床板の断末魔を聞きながら戸の方へと目を向ける。

 幾らほどの間も置かず勢いよく開け放たれた戸の向こうにいた女性は、息も絶え絶えな様子であった。

 女性は話し始める前に、荒く息を吐き少しばかり呼吸を整える。正直な所、結局はそれで時間を使ってしまうのだから、大人しく歩いてくればいいのにと思わなくもないが、これもまた仕事の一つなのだとなれば、それはそれで机に向かって一日中座っているよりも健康的でいいのかもしれない。

「白さんっ」

 ある程度落ち着いたところで女性は、未だ荒い呼吸に言葉を乗せる。

 女性の職場からここまではある程度の距離がある。けれど歩いてくればそこまで疲弊するということもない程度の距離だ。疲れた演技をしているのであれば、舞台役者をお勧めしたいところではあるが、生憎と女性がそこまで演技はでないことは知っていた。おそらくは本当にここまで走ってきたのだろう。そこに、かなり慌てている様子を窺えた。

「はいはい、どうかしたのです?」

 白、と呼ばれた彼女は立ち上がりながら女性へと問いかける。ただ、彼女の所へひとを寄こしたということは十中八九、出向かなければいけない事態が起きているであろうことは予測できた。彼女は窓外の晴天にちらりと目を向け、部屋を出る。

 出向く準備を片手間に、少しずつ呼吸も落ち着いてきた女性に冷やしたお茶を飲ませて用件を聞いた。けれど、大抵のものごとは話を聞いただけでは状況が分からないものだ。案の定、女性の話も何となく分かるものの、可能性の幅が広すぎて明確な理由が分からない。だからといって、全ての可能性を伝えてしまえというわけにもいかないため、やはり出向く必要はありそうだった。

 彼女が職場へと足を運ぶと、職員たちが一つの席を取り囲んでるのが目に留まる。彼女に気付いた職員たちが場所を開けると、その席には一台の機械が鎮座していた。ノートパソコンと呼ばれる文明の魔物は今、女性から話を聞いた通り、明るい画面を映したまま動きを止めている。落としてしまえば一時的には解決しそうなものだが、祖損していないデータがある以上そういうわけにもいかなかったのだろう。

 彼女は席に着き少し操作をしてみる。それは確かに完全に止まっているように見えたが、システム的に見てみれば矢鱈と遅くなっているだけだというのが分かった。

 世間的には何世代も前の型落ち品とはいえ、簡単にここまでになってしまうような粗悪品でもないため、ただのノートパソコンである以上、原因は幾つもなかった。

 普通は、という先入観を捨てて予測を立て、一番厄介なことになっていないように祈りつつ、一つ一つ確認してゆく。すると、すぐに問題は発見され、それらを解消してゆけば機械は正常性を取り戻した。

 これにてお役御免となれば少なくとも彼女は楽だがそうもいかない。問題はある意味これからだ。起こっていた問題は、放置していればまたすぐに発生してしまうようなものばかりだった。けれど、解決策をそのまま伝えたところで、仕組みを知っているという前提条件を持たない彼ら彼女らは覚えることしかできない。それでも問題はないのかもしれないけれど、精密機械である以上、何となくでも仕組みを理解していなければ問題は幾らでも起こりうるのだ。

 どう伝えれば身近に理解してもらえるだろうか。頭の中で仕組みとそこに起こった問題を単純化し、彼ら彼女らの持ちうる知識や経験を想像して擦り合わせ、置換してゆく。

 ある程度考えが纏まった彼女は、口を開いた。


「パソコンっていうのは、小さな仕事場なのですよ――


 本業ではない仕事を終え、眩しすぎる太陽を避けて軒下を歩きながら考えていた。

 この場所にはまだ早いようだけれど、いつかは、せめて押し寄せる波にぷかぷかと浮かべるくらいにはならなければ、いつかはさらわれて、後には何も残らないだろう。それはあまりにも悲しい。そう思うくらいには彼女はこの場所が好きだった。

 まずは一歩、踏み出しやすい所はどこだろうか、と思案を巡らせながら家路につく彼女の後ろで彼らもまた、来たる波を感じてた。だからこそできる範囲で、成功のための失敗を重ねる。その時、皆が彼女に頼るのは彼女が、伝わる言葉で伝えてくれるという信頼をしているからだ。

 そして皆がその苦心への感謝を持っていた。だからこそ、今夜もきっと彼女の屋敷には、我先にとひとが集まり楽しい宴会が開かれる。そんないつもの光景が見られることだろう。


 おしまい。


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