天才なあの子

あの子のnoteにわたしのことが書いてあった。
名前は出ていなかったが、紛れもなくあれはわたしのことが書いてあった。
わたしとのちょっとした、小さな、些細な思い出。
愛されていると自覚した。
そんなくだらないことを覚えていたのか、と。


あの子は天才だった。
なんの天才、なんだろう。
言葉にするには難しい。
パッと見てわかるような天才ではなくて、
ほら、ベートーベンみたいな。モーツァルトみたいな。ピカソみたいな。アインシュタインみたいな。そういうんじゃなくて、
一途に何かを愛する天才、というのだろうか。
わたしみたいにミーハーではなく、いろんなものに触れていろんなものに対して、一定数以上の愛を捧ぐことができるのだ。
身の回りに起きた楽しかったことも嫌だったことも、全てを熱い気持ちで向き合うことができる。愛せる。自覚していないのが厄介。妬ましいほどに。

そしてそれを言葉にして歌にすることができる。
わたしはあの子みたいになりたいと何度も願った。


あの子はわたしを天才だと言った。
わたしは意味がわからなかった。
音楽をやめると話した時、あの子は悲しそうな顔をした。
勿体無い、と、悲しんでくれていたようだった。

わたしはなんの天才だったんだろう。
作曲の能力も、作詞の能力も、編曲の能力も、何かを奏でる能力もなかった。
そうだな、器用貧乏とはよく言われていた気がする。
いつだって平均点は取れるのに、平均点以上は取れない、満点すら取れない。

どこが天才だったんだろう。
天才なあの子は結局教えてくれなかった。
平均的で平凡なところをある意味天才だと、皮肉を言ったのだろうか、否、優しいあの子がそんなことを言うわけがない。
なら、なにが。どこが。
わたしに才能はあったのだろうか。
天才と言われて嫌だった訳ではない。
でも、あの頃のわたしは素直に受け取れなかった。
今では純粋な疑問だ。問いかけたいのだ。
わたしのなにがあの子に響いていたのだろうか。

わたしはあの子のnoteを知っているが、あの子はわたしが見ていることを、こうして書いていることを知らない。
もしいつか気づいてくれたのなら、その記憶力で数年前のその出来事を思い出してほしい。
そしてあの頃のわたしをもう一度救ってほしい。

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