根拠のない自信

恋をすると、たいていの人は対象の相手と付き合いたいと思う。らしい。

恋人が一切できない友人と話していた時、彼女はこう言った。

「私と付き合ったら絶対幸せにしてあげられるのに!!」
「え、何その自信…根拠は?」
「ない!」

猪突猛進タイプの彼女は目を輝かせながら、その後理想のタイプと付き合ったらしたいことを延々と話していた。内容は覚えていないが、ひとまずその会話だけは頭の中にズドン!と残っていた。
根拠のない自信ほど怖いものはない。
実際付き合えたとしても、本当に幸せにしてあげられるのだろうか。
それは幸せを押し付けているだけなのではないだろうか。

子供のようにキラキラと瞳を輝かす友達の夢を壊してはいけないと、わたしは言葉にすることはしなかったが、心の中ではそう思っていた。

実際、わたしは恋愛感情を持ったとて、付き合いたいと強く思うことはない。
あわよくば付き合えたら、とは思うが。
なぜ、と聞かれると、それは自信がないからだ。
相手にとって幸せと思えるような大切な時間を与えることができない。できるはずもない。
今まで好きだと言ってくれた人たちは、たいていわたしの負の感情が少しでも垣間見得ただけで蛙化現象を起こしていた。
それが少しトラウマになっているのもある。

だいたいの人はわたしの表面を見て好きだと言ってくれる。「いつも明るくて、誰に対しても優しいところが好きです。」みたいな定型文。もう散々だ。聞き飽きた。まあそれはそれで正解ではあるのだが。持ち得る全ての愛嬌を使ってわたしは日々生活している。いつかそれが帰ってくると信じて。
好意を持たれることが嫌なわけではないし、もちろん嬉しいと感じる。だが、どこをどう見て好きになったのか聞くと毎度そう帰ってくれば嫌にもなる。

話は逸れたが、わたしと付き合ったとて、相手方に良い時間を提供できるかと言われるとそれが難しいのだ。
表面的な部分を永遠と見せつけるとしたらわたしの心が擦り減っていく。
いつか素を出せる人が現れるよ、なんて友人は言うがそんな根拠のない“いつか”をいつまで待たなければならないのだ。

でも、20を超えてもなおその素直な心を持ち続けている彼女がかわいいっちゃあかわいいと思ってしまう。
そう思えるのもいいよな。と少しの羨望を向けた。

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