ヨルシカという魔法

わたしたちは大抵“好きな音楽”が決まっている。
それは、最近流行りのあの曲だったり、昔からずっと聴いてきたアーティストの音楽だったり、
人それぞれにある。

わたしはヨルシカの音楽が好きだ。
とてつもなく好きだ。
好きなアーティストでも、この曲調あんまり好きじゃないな、と思うことがある。が、彼らの音楽で好きじゃないものは一曲もない。

なぜ好きなのだろう、とふと考えた。
あの静かで優しいアコースティックな音が好きなのだろうか。
いや、あの凶器を振り翳したような歪みも好きだ。
高い位置で鳴り続けるピアノも、腹の底にまで響く低音も、あたたかいアコギも、気持ちのいいスネアの音も、どんな主人公にもなるsuisさんの声も、
どれも好きだ。

好きなのだけれど、わたしが最初惹かれたのはそこではない。
ヨルシカの圧倒的な魅力。


スウェーデンのキルナ

ゴットランド島

ガムラスタンの古通り

キューバのハバナ港

新潟の湯沢温泉

昭和記念公園

どこも行ったことのない場所。
なのに、ミュージックビデオやジャケットを見るとなぜか懐かしいと感じてしまう。
詩的な彼の紡いだ言葉からも、曲調からも、哀愁やノスタルジックさが漂ってくる。
まさにデジャビュだ。

名前を聴くだけで、風景を見るだけで、わたしは胸の奥底から湧き上がる感情に耐えきれず、涙を流してしまう。訪れたことのない場所へヨルシカは連れて行ってくれる。わたしを“わたし以外の何か”に生まれ変わらせてくれる。

そしてもうひとつ。

赤裸々なまでに紡がれていくn-bunaに選び抜かれた言葉達。

音楽を奏でている人間が「音楽を辞めた」とうたう。
「期待も将来も明日も」何もいらない、遠くへ逃げたいと訴える。
売れた原因は「名作を盗んだものだから」と自白する。
3番を作ったくせに「飛ばしていいよ」なんて諦める。

爆弾魔や思想犯、強盗と花束という曲達は特に感情が剥き出しに表現されている。

わたしは生涯を通してもn-bunaの感情や気持ちを理解できるとは思わない。
ただ、そういった彼の言葉達によって、己自身の汚い感情すら愛おしく感じてしまうようになった。
ヨルシカはわたし達を励ますために音楽を奏でている訳ではないのに、だ。

彼らの知らないところで彼らに救われている人間が沢山いる。
彼らのおかげで言葉の機微を、日本語の美しさと汚さを知る。

わたしはそこに彼らの魅力を感じているのだ。


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