(鉄道趣味)20年前の多治見駅
私がデジカメを持つようになったのは2003年、ちょうど今から20年前のことです。当時中学生。それまでの写ルンですと違い、現像に出す必要もなく、フィルムを買う必要もないデジタルカメラの登場によって「写真を撮る」ことのハードルがめちゃくちゃ下がりましたよね。部活が休みになると、自転車に乗って最寄駅であった多治見駅まで行き、意味もなく写真を撮りまくるということをよくしていました。
そんな頃の写真記録から、2004年の11月に撮った写真を並べます。おおむね今から19年前ですね。当時のデジカメですから、画質が荒いのはご了承ください。
最初のカットは多治見駅に到着する211系電車。当時の主力電車です。最近まで主力で活躍してきましたが、今年度に入って一気に数を減らし、今日(2023年8月28日)現在で残り2編成しか走っていないそうです。
その写真を撮ってから、ホームの先端まで歩いたのでしょう。貨物列車が停まっているのを後ろから撮っています。今も多治見駅には、名古屋からの貨物列車が1日1往復走っていますが、牽引機関車は何度か変わって現在では最新鋭のEF210型が運用に就いています(写真は後で出します)
で、続けて撮ったのがこのカット。意味わからない写真ですが、信号機の配置を記録したかったのかな。当時はとにかく写真が撮れることが嬉しくて、目に入ったものをなんでも撮っていましたね。現在ではこの角度で撮ると、線路より左側はびっしりマンションが建っていて、向こうの山並みは見えないことでしょう。当時はまだまだ長閑な田舎町でした。
さらに振り返ってもう1枚。当時の多治見駅は地上駅で、1番線に改札口があって長い木造のこ線橋でホームに出ていました。現在は橋上駅舎になり風景が一変しています。また、高い建物がほとんどなく、空が広いように見えますね。同じ場所ではないですが、橋上駅舎から同じ方向を向いて撮った現在の様子がこちらです。
奥のほうに見える茶色いビルは、2004年当時からあったような気がします。
次のカットは停車中の電車。停車中というより、お客さんがどっと降りてきていますから、ちょうど到着したところだったかもしれません。
もちろん当時の主力の211系電車です。当時中央線は(感覚として)8割ぐらいが211系電車での運転で、朝夕はかぼちゃ色の113系電車が走っており、快速電車には新型の313系電車が一部で走っていた、という感じだったように思います。あと1時間に1本、スター種別『セントラルライナー』が名古屋まで出ていましたね。今は廃止されて存在しません。
211系電車は現在も一部走っていますが、主力は2022年に登場した315系電車にバトンタッチ。また当時は3両編成や4両編成の電車も走っていましたが、現在は全列車が8両編成に統一されていて、都会的な感じになっています。
続いて5番線に移動し、太多線の汽車を撮影。太多線は多治見と美濃太田を結ぶ路線ですが、ほとんどの列車は美濃太田から高山線に入り、岐阜まで走ります。当時は写真の、キハ11という小型ディーゼルカーが中心でしたが、現在は新型のディーゼルカーに置き換えられています。
その後どういうわけか1番ホームの中津川寄りに移動し、東側の写真を撮っていました。何が撮りたかったのかはまったくわからないですが、この角度は現在でもおおむね同位置から写真を撮れますので、今昔比較はしやすいです。現在の写真(動画から切り出し)はこちら。
線路の北側には、昔の面影を残す雑多な街並みが広がっていましたが、再開発で今は綺麗なマンションと公園、駐車場などが広がっています。7枚目写真の奥の方に映っている「金天馬」の看板を掲げた工場は、今も操業中ですが、マンションの陰に隠れて見えなくなりました。貨物列車を牽引するのはEF510型ですが、2022年の1年間だけ限定で多治見駅に来ていました。
さらに同じ場所で振り返って多治見駅の全体を撮っています。真ん中に見える長いこ線橋が、多治見駅の南北を結んでいました。改札は南側にしか無かったので、北からの旅客は長いこ線橋を抜け、喫茶店等のあるASTYで1階へ降りて、改札を通るという遠回りが必要でした。
背後のマンションが変わっていないので、今昔比較しやすいですね。橋上化されてどっしりとした雰囲気になったほか、周辺にも建物が増えましたね。コンテナ貨物駅も整理されて、2004年当時の3分の1ぐらいの敷地にコンパクトに収まっています。駅の北側は倉庫街でしたが、今では商業施設やマンションが増えて賑やかな雰囲気になりました。ホームには現在の主力315系電車の姿も。
ということで、今昔比較でした。20年前に撮ったよくわからん写真でも、こうして現代の写真を並べると、時の経過が感じられて面白いですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!