ハロー、ハロー。こちらはまだ夜明け前。

とうとうあけちゃったんだな、世界。あけおめ。昨年は色んなことが起こって、不随意に、僅かな隙に、炙られ続けているような痛みと煩わしさと緩やかな絶望とで、何もかもが楽しくなくなった。どうしてくれるんだ、世界。どうしてくれるんだ、わたしの弱いメンタルめ。そんな幕開けである。

混沌とした世紀末感や聞き慣れた芸能人の自死のニュースのせいか、とうとうすっかり小説を書く気がなくなった。現実の濃さにわたしの未熟な筆はぽきりと折れて、もうくっつかなくなってしまった。

書く気どころか読む気もしない。新聞もまとめ記事もニュースすら読む気がしない。まるで右クリックで削除したみたいに、身体からすっぽり抜け落ちて生活から物語が消え去ってしまった。楽しかったものも楽しくない。

身体が物語を全く必要としないことに戸惑いは確かにあった。4カ月は前のことだ。だがその出来事を大事にしてやらなかった。嘆けば嘆くほど心は置いてきぼりになったみたいに冷めた。焦れば焦るほどわたしの白髪や皺やしみは増えて、重なる老いだけが顕著になる。なんてこった。ひどいったらない。しばらくはそんな風に途方に暮れて、育児や日々の生活に明け暮れた。

達成感は子供の成長や何店舗ものスーパーを回って得する買い物をすることで得ようと躍起になった。なんという虚しさ。間違っていると分かっているのに思考のための管が綺麗に分断されたように言葉がまとまりになってくれない。言葉になる前に緩い絶望にすっかり追いつかれてしまうのを恐れてスーパーに走り、子どもにピアノを教え続けた。

そうしているうちに、つまらない世界の冷たさがどんなだったか思い出した。自分の中に流れるクソな血の煩さも、未熟さも全部。わたしはまだ13歳なのか。あの日の夜明け前、1人で冷めきった残り湯に入って呆然としていたあの時から成長をやめて、いつも何かのせいにしている。何も変わっていない。何もない自分を許せない。存在を否定し続けている。

そのせいなのか。物語の神様はわたしからすっかり離れて、この穴を別の何かで補填することもできず、ひゅうひゅう冷たいものに晒されながら毎日ただぼやあんと過ごしている。優しいのはアンプから鳴る歪みだけで、それに震えて心の位置を知る。楽しくできるのは自分しかいない。そのことも分かっている。ずっと、分かっている。

毎日、創作の天才たちの奏でる音がうるさくて堪らない。

もうATフィールドも効きやしない。いい加減、入り込んできたものをひっつかんで近づいて対話しなければ、完全に夜は明けないのかもしれない。エヴァもようやく完結するらしいしな。よう、よう、丑年。仲良くしようぜ。


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