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椎名桜子

時々、学生時代に一瞬でも人々の口にのぼった人のことを思い出す。それもふと、なんの脈絡もなく浮かんできて、瞬く間にあの頃の記憶へと繋がる。それが、椎名桜子だったり、仙道千秋だったりする。ここに記しておくのは、今後このようにふとしたことがきっかけで思い出してしまう、けれども記憶はどんどんと遠ざかりもう思い出せないところまできてしまう前にという理由である。

電車に揺られながら、中吊りに目を通していた。一緒に乗っていた仲の良い友達が「椎名桜子って所詮あそこにも書いてある通り金メッキだよね。そのうち剥がれる。」と言ってきた。田舎から出てきた私はそのシイナサクラコがどんな文章を書くのか、そしてそれが金メッキなのか全くもってわからなかった。東京に出てくる前までは、私ぐらいの年代の田舎の高校生がそうであるように、一応読書はしていた。そして本屋さんに並べてあった堅そうな本を読んでいた。新潮文庫とか岩波などを主に読んでいたので、ある一定の評価をなされていない人の本をあまり手に取ったことがなかった。本を気軽に読むのはコバルトで、雑誌からではなかった。

そういった私の友達も地方出身者ではあったものの、大人びて美人の彼女はいろんなことを私よりもずっと知っていた。そして世の中のことを私からしてみればいわゆる業界目線で見ていたように感じた。

その友達の言う通り、椎名桜子はあっさりと表舞台から去っていった。私はある意味驚いた。そんなことがあるのか。この人が売れる売れないなんて、電車の中刷り広告で大々的に書いて、それが現実のものとなる。人生ってそんなに簡単に予測のできるものなのか、と。

遠い思い出。そして、その友達と繋がる思い出。

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