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人のこころとからだ まとめ

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私たちの「こころ」や「からだ」について書いた文章をまとめています。こころとからだは、一つの現象の二つの現われであると思っています。人という営みは、個人のこころとからだを通して、多…
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#野口整体

ゆるむこととゆるすこと

「ゆるむこと」と「ゆるすこと」は、同時に訪れます。 人はそのからだをゆるめることができたときに、何かをゆるすことができるようになり、そしてまたゆるすことができたときに、からだがゆるむのです。 「ゆるまない」ことも「ゆるせない」ことも、どちらも何かを受け流してリリースしてゆくことができずに、滞って閊えてしまった状態です。それはつまり停滞であり、固着であり、執着であり、硬結です。 整体ではあらゆる心身の変動に対して、基本的にはそのプロセスを「経過する」「全うする」ということ

物質のヴェールをめくって

『野口整体の「方法」講座 第二弾』がおかげさまで盛況の内に終わったのも束の間、オンラインでの『老いの美学』講座が始まるので、そちらも頭をフル回転させながら第一回を迎え、何とか無事に終えることができました。 どちらも気合いを入れての新講座だったので、ここ一ヶ月くらいはずっとどこか落ち着かないままに、ひたすら本を読みあさって勉強ばかりしていたような気がします。 『方法講座』は今まで自分の積み重ねてきたことの振り返りとアウトプットが主題となり、『老いの講座』はこれから自分が歩ん

夢見のダンス

私たちは普段さまざまにからだを動かしていますが、改めて考えてみると、ほとんどのからだの動きについて私たちは何も知りません。 「指一本動かすこと」についてすら、どのような仕組みで、どのようにその機能が果たされているのか、私たちは何も知りません。 スマホがいったいどんな仕組みで動いているのか、多くの人が何の知識も無いままに使っているように、からだについても私たちはほとんど何も知らないのです。 私たちは、成長する過程で身に付けた「何となくこうすると指が動く」というきわめて感覚

いつかの言葉【マザー・テレサ】

「愛憎」などという言葉があるように、「愛」と言うとその反対の感情として「憎しみ」というものを思い浮かべがちですが、愛の反対は「無関心」だとマザー・テレサは言います。 人間は複雑な感情を抱く生き物ですから、愛といってもいろんなカタチを取るのでなかなか捉えどころがありません。 ですが自分の感情の記憶を呼び起こしてみても、愛と憎しみが絡み合って混在するようなことはあっても、愛と無関心が混在するというようなことは、ちょっと想像できません。 愛も憎しみも、その対象に対して非常に強

暮らしの体育

野口整体は「療術」ではなく「体育」というのがその立ち位置なのですが、創始者である野口晴哉(はるちか)は、たびたび「女子の体育」ということを提唱していました。 現代の日本で「体育」あるいは「運動」と言ったときに、多くの方がイメージされるのは「競技体育」のイメージではないかと思います。 「競技体育」というのは、それぞれが持てる体力や技術を出し合って競い合い、その優劣をつけて愉しみ、そして切磋琢磨し合う、そのようなからだを育てようという体育です。 それはある意味「競うからだ」

愉気とはともに同じ夢を見ること

私の話はいつもそうなのですが、思いついたままにつらつらと話していくので、どんな話になっていくかはあまり意図しておらず、私自身も予想をしていない方向に向かっていくことがほぼ常のことです。 今回も愉気(ゆき)についての話をしていたら(2016年のこと)、「愉気とはともに同じ夢を見ることなのです」という言葉が口をついて出てきました。 (※注:愉気とは整体のお手当てのこと) 自分でもそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったので、我ながら「おお…そうだったのか」と新鮮な驚きがあり

いつかの言葉【世阿弥】

 世阿弥(ぜあみ)といえば、言わずと知れた室町時代の能(猿楽)の大スターですが、彼は後進のために多くの能の伝書を書き残しました。現在でも使われる「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」といった言葉も、世阿弥の言葉です。 彼の伝書は、能の稽古について書かれたものですが、そこで説かれていることはあらゆることに通じるとして、現代でもさまざまな芸事や運動の稽古においてよく引用されています。 伝統芸能の世界では、きわめて幼少の頃から稽古をしていくこともあって、伝書の中には小さな子ども

乾くということ

1.冬の乾きこの季節、非常に空気が乾燥していますが、私たちのからだも思っている以上に乾いています。 肌が荒れたり、指先がひび割れたり、唇が切れたり、目が疲れやすかったり、頭が重かったり、気持ち悪かったり、痰が絡んだり、鼻水が出たり、手足が冷えたり、足をつったり、風邪を引きやすかったり…。 もし最近そんな変動があるのなら、乾きの影響が出ているかも知れません。 冬の乾きというのは、何故か私たちはあまり自覚できません。 夏に汗をかいて水分が足りなくなるのは「ノドが渇いた」

ローズメリアの冬至のワーク

先日、安城でシュタイナー教育の学びを中心に20年間活動を続けてきた「ローズメリア」という活動のファイナル企画に参加させていただきました。 私も野口整体の子育て講座や、魔女修行なんていう不思議な講座をしながら10年ほど関わらせていただきまして、熱心な参加者の方たちに支えられて、とても充実した講座を積み重ねていくことができました。 その20年の活動の締めくくりとなる本年は、いままで繰り返されてきた季節を祝福するように、夏至と冬至の2回の集まりをすることになり、その最後となる冬

冷えと反感、熱と共感

「共感」と「反感」という2つのベクトルは、私たちの営みのあらゆるところで働いていて、そのどちらも非常に大切な働きを担っています。 たとえば私たちが何かを「食べる」ということは、食べ物を吸収して自分自身に取り込んでいるのですから、それは食べ物に「共感」していると言えます。 たいして私たちが何かを「考える」ということは、私たちの中にある漠然とした概念を、言葉として吐き出し、外側から客観的に捉え直すことですから、それは「反感」の働きと言えます。 シュタイナーの考えでは、幼少時

引き算の美学

日本文化の様式が語られるときに、「引き算の美学」という言葉で語られることがあります。 これは整体の創始者である野口晴哉の思想が語られるときにも、しばしば用いられる言葉ですが、私たちはより良い物を作ろうとするときに、良い物をアレもコレもとどんどん付け足していく、そんな「足し算」的なやり方をしていきがちです。 ですが、前回の記事(「人を育てる結界術」)で紹介したエピソードにも通じますが、日本文化や日本の美意識というのは、その逆にむしろいろいろな物をどんどん引いていく「引き算」

忘れるということ

 整体では「忘れる」ということをとても大切にします。ですから講座などでも「メモを取らずに話をしっかり聞いて、そして後は忘れなさい」などと言われたりするのです。 それはシュタイナー教育でも同じで、「忘れる」というプロセスを丁寧に挟み込んだカリキュラムで授業を構成します。 初めはその理由が何だかよく分かりません。普通は「忘れないようにきちんと覚えておかないと」と、そう考えると思います。 ですが、よくよく考えてみると、私たちのあらゆる活動の巧みさは「忘却」というプロセスの上に

癖や歪みといった滑稽を愛す

『野口整体の「方法」講座』が、おかげさまで無事に盛況の内に終えることができました。ご参加いただいた方々ありがとうございました。 とりあえず、野口整体というメソッドの滋味豊かな断面というものを、みなさんにお伝えすることができたかなと、少なからぬ手応えを感じられたような気が致します。 『山上亮』というフィルターを通して見える野口整体の景色は、おそらくかなり独特に歪んでいたり、色づいていたりするのだと思いますが、そういう独特な歪みや癖をみなさんに愉しんでもらえたのなら、私も本当

意図なき集注

今月の愉気の会は「穴追い」の実習を行ないました。(2016年11月のこと) 穴追いというのは整体の手当ての一つで、からだの皮膚の上の穴のようなものをひたすら追いかけて愉気していくという不思議な技法です。 「皮膚の上の穴」というのも何だかよく分からないですし、「穴が動く」ということもよく分かりませんから、考え出すと頭が混乱してきてしまうかも知れませんが、今回の参加者の方たちはみなさん素質があるのか、あまり深く考えずに(笑)実習に入っていただけたので、比較的スムーズに実習を行