現実から夢へと向かう時

先月、夢と現実について話をしました。マガジンにしてまとめました。
一月経てばまた、新たな工夫が増えてきます。これまで何度も経験してきました。
今回はまた、真逆な感覚を得ましたので、ご報告をしておこうと思います。

現実→夢へ

前回はこの「現実→夢」へのルートを重く苦しいものとして紹介しました。「現実→夢」ではなく、「夢→現実」なら手間はかかるけれども、軽々と動けます。夢を叶えたいのなら「夢→現実」がいいよ!と。

しかし、違っていたのです。もう、稽古はこんな事ばかり。私が知らない世界が身体にはたくさん備わっています。
「現実→夢」へと向かっても、気分快適、楽しいままに動いてい行ける事がわかりました。人は両方、共に持っているのです。

身体はスイッチ

両方持っている、とわかれば「選択」が出来ます。夢から作っても、現実を頼りにしても人間は幸せ感を得られるようです。

「スイッチ」を自覚する事でもう一つメリットがあります。心脅かされ、怖い想像をしてしまった時には現実に助けてもらえるようになりますし、現実が辛く苦しくなれば、想像へと向かう事が出来ます。
肉体を間に置いた「正反対」の工夫ですから、相手はなかなか対応しきれないのです。

多くの人が工夫をせずに、持って生まれた才能だけを伸ばしていきます。得意技は出来ますが、得意が強くなれば、反対が疎かになるものです。
私は得意技がなかったおかげで、「研究」へと向え、その結果、身体の持つ多様な働きを探れるようになりました。

下にいてくれたもの

色々とバタバタしたこの一月でした。もっと早くお伝えをしてもよかったのですが、少し躊躇がありました。普段はあまり気にせず、思った事をそのままお伝えをしているのですが・・・。

というのも、「見えない世界」のお話だからです。
「夢」についても話をしていますから、見えない世界の話は初めてではありません。しかし、その夢は「右手」が先に向かってくれ、手掛かりをそこにあたえてくれるものです。
今日、お伝えしたい感覚はその手掛かりとする肉体がありません。感覚のみによって身体が変えられ、現実を自覚するものです。

実は今、私の周りには私を守ってくれる「SP」がいます。そして、この「SP」こそが「見えない世界」のもの、守護霊、と言ってしまうと勘違いをされそうですが、人は皆、守られてここにいるのだ、と私自身はすぐにそれを受け入れられましたが、それを伝えるのには少し、苦労をしています。

争いを通して確かめる

守護霊の話をする人は少なくありません。しかし、その守護霊のレベルの多くは肉体の世界では役に立ちません。
長い時間を観察すれば、守護霊が守り、導き、人生を作っているのでしょう。しかし、武術を通して探る私は、今、この瞬間、目の前に向かってくる突きや、強く抑えられる腕を何とかしなくてはならないのです。

守護霊の言葉を伝えられる人はいても、その人が暴力を受けた時、守護霊によって得られる変化を説明できる人がどれだけいるでしょうか。

私は「出来ねば無意味」を考え研究稽古をしています。その上で「SP」なる守護霊的な存在の話をしています。
これまでと同じように、襲ってもらい、抑えてもらいます。その時、その「SP」が抜群の働きをしてくれるのです。襲ってくる相手にまっすぐと向き合ってくれるので、私の意識は敵となる彼にとらわれる事が少なくなります。余裕が出来るのです。

余裕が出来れば「スイッチ」が使いやすくなり、感情を揺らされず、身体の働きを素直に出せるようになるのです。
結果として相手をこれまでよりも楽に抑えられるようになるのですから、実際に手を合わせてみたらきっと、違いを分かってくれると思います。

無数の名もなき人

とは言え、「守護霊」の話にアレルギー反応が出る人もいるでしょう。何を隠そう、私はそちら側(笑)。しかし、私の身に起こった事を言葉にした時、一番しっくりときたのが「守護霊」だったのです。もう、しかたありません(笑)。

しかし、この感覚を得て、改めて考えてみればむしろ、「いない方がおかしい」と思うようになりました。

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4
8
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32
64
128
256
512
ちょっとわかりやすくして
1000
2000
4000
8000
16000
32000
64000
128000
256000
512000
またわかりやすく
100万
200万
400万
800万
1600万
3200万
6400万
1億2800万
2億5600万
5億1200万
10億・・・

これわかりますか?
私たちには必ず「親」が二人います。身体的、生物学的に。
そしてその「親」にも二人の「親」が。
人間がどれほどの繰り返しで現在にまでたどり着いているのか・・・。

先祖を大切にしよう、と思っている人は多いでしょうが、今の私が生まれるまでには無数の名もなき人たちがいるのだ、と改めて気づいたのです。

そして、その何億人、何十億、何百億、何兆の中には私を助けてくれようとする人がいたってそれは不思議ではありません。まぁ、多少の霊魂の存在を認めていなくては駄目でしょうが、これだけ寺社仏閣があり、宗教的イベントを受け入れている世の中です。霊魂なんてない、死んでしまえば何もない、と思う人の方が少数でしょう。ちょっとでも持っている感覚を手掛かりにすれば今この瞬間から「守られている」感覚を得られるようになります。

誰もが山の頂に立っている

言葉で説明をすればややこしいですが、実際に手を合わせて伝えるのは簡単です。試してもらうのも難しくありません。
まだ何十人、というレベルですが、誰もがその瞬間、「違い」をわかってくれます。

その中でこの感覚を「山の頂にいる」という言葉で表現してくれた人がお二人いました。そして、それを聞き、改めて自分も感覚を味わってみると、確かに「山の頂感」がありました。

さきほど、1,2,4,8,16,32・・・と数字を羅列しましたが、あれはまさに山、ピラミッドです。無数の先祖が私へとつながっている形そのものです。

どれだけ屁理屈を重ねて否定をしても、現実に無数の関係者がいるわけです。そして、その多くは私に文句をいいません(笑)。じっと、黙り、気配を消して、私の人生を見てくれている、そんな気持ちになりました。

感謝

柄でもない、といわれそうですが、この感覚によって「感謝」という言葉を初めて身体を通して実感しています。
これまで「感謝」の大切さは何度も聞いてきました。そう教えてくれる先生、先輩は多いです。しかし、何度も言いますが私が探る世界は武術の世界。私の命を奪おうとする相手を前にしてどう振舞うかを自分で決めなくてはなりません。

感謝をする事の大切さは知っていても、現実に襲われた時、その感謝を敵に向けるのは簡単ではないのです。

しかし、私を文句も言わず、守ってくれる「SP」に対してはどうでしょう。もう、感謝しまくれます(笑)。
まず、自分の内面に感謝の対象が見つかったのです。感謝への第一歩へと向えました。いつか、襲ってくる相手にも、全身全霊で感謝ができるようになる大切な一歩です。

もし、今、感謝を伝えている人がいるなら、そのレベルをぐっとあげられるチャンスです。本当にその教えでよかったのですから。
しかし、平時の時には感謝が出来ても、肉体に痛みの伴うピンチの瞬間には「やめろ!」とつい、身体をこわばらせてしまうはず。頭と身体につながりがないからです。ぜひぜひ、研究してみる事をお勧めします。

現実→夢が楽になる

長々と書きましたが、説明するのは大変です(笑)。

感謝があれば大丈夫

と一言で済ませてもいいのですが、それでは勘違いをされるし、身体の働き、大切さが伝わりません。
今、この瞬間という現実にも、この身体を守ってくれる身に見えない存在がある、それがわかると気持ちが楽になり、自分の持つ意志のまま、願いの通りへと向えます。

その途中で身体を強張らさせる敵にあっても、それを「SP」が相手をしてくれ、私は気持ちを切らずに、夢へと向けたままで進めます。

また一つこの世を生きる強さを見つけました。

【年内の稽古】
12/25 AM東山稽古 PM毎日文化センター名駅
12/26 浜松ヒーリング講座
12/29-30 名古屋徹夜稽古(参加時間自由)
http://www.karadalab.com/

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