天動説と地動説 その4

身体は一つではなく、たくさん

天動説と地動説の話をしてきていますが、大きく違うのは身体の「数」への認識かもしれません。
長く稽古をしているので、私の中では「当たり前」になってしまっていますが、「身体的に見た私という存在」が一つではなく、複数いるのだ、という認識が常識的に暮らしていると、なかなか持てません。

私は何者なのか、そんな事を問いかけている時間は現代人にはないのです(笑)。
しかし、武術においては、忙しさは消えます。どんなに忙しい案件、問題、ノルマを抱えていても、目の前に敵が現れ、今まさに襲われて心が怯え、体が緊張してしまった時、藁にもすがる思いであらゆる考え方を受け入れる下地が出来ます。

私は一人じゃない。
そんな思いも武術の稽古なら求める必然性が出てきます。

身体を割る

甲野先生に出会った30年近く前。当時から先生は「身体を割って使う」と言われていました。言葉は簡単です。「身体」を「割る」のです。どちらの言葉もわかります。しかし、頭はそれを受け入れても、この身体は割れません。どうしたって、力入り固まり、大きく感じる胴体はあるし、その胴体に腕脚は繋がります。稽古をすればするほど、その疑問は大きなりました。

長らく、私にとっての「身体を割る」というのは、観念的なものでした。割る「ように」使う、程度のものでした。
それが昨年、身体がバラバラになる感覚を得て、それまでの稽古がいかにわかっていなかったかを実感しました。

きっと、その感覚があったからでしょう。年が明け、たまたま気づいた「点」の感覚。たくさんに割る感覚とは対照的な「点」の感覚のおかげで、これまでとはまた違った「割れた身体」が見えてきました。

太陽と地球、その他惑星

今回のノートは天動説と地動説がテーマです。宇宙そのものがテーマ(笑)。
宇宙に関しても、忙しい生活の中では興味はあっても、追求している人はごく稀でしょう。しかもすでに、天動説は敗れ、地動説が当たり前の事実としてあるものです。それをわざわざ追求している人はいません。

自分の外に中心が出来て、それによって生まれたすり鉢的な空間に従うように動く。それが地動説の動きです。
身体が外にある中心に引かれるように流れ落ちていく。これは太陽と地球の関係です。

私たちは地球に住んでいて、まだ、他の惑星にはいけません。ついつい、地球のことだけを考えます。天動説の時にはそれが強く、宇宙の中心は地球という私でその他の惑星は私に従い回っている、と考えていました。

天動説と地動説、どちらであっても、他の惑星は「存在」します。
太陽があり、その他、水金火木土天海冥。あるんです。
その「それぞれ」がどう動いているのかを「考えた」としたら頭はパンクします。向き合ったとしても大変なのに、いくつもの星の動きを考えておくなんてとても無理です。

しかし地動説になり、太陽が中心として働き、空間がすり鉢になったとわかれば、地球だけではなく、他の星々だって、そのすり鉢空間を廻る「だろう」事は考えられるはず。
身体が「重力」に引かれるようになり、力みがなくなってきたことで、自然と身体の中がいくつかの部分に分かれてきました。

関節の存在

たまたまそう考えたわけですが、そう考えてしまうのは自然なこと、そう思っています。
なぜなら、私たちの身体はすでに、関節によって「部分」が強く分かれているからです。もし、私たちの身体がアメーバー、スライムのように一つのものであれば、なかなか割れることはないでしょう。
しかし、頭があり、腕脚があり、形が歪です。そして、腕や脚、そこにも前腕、上腕など、しっかりと働きを分けられるような形が存在しています。

重力は物を落とす力。筋肉によって電気的なエネルギーで動かすのではありません。力を抜いた時、すり鉢空間に従い流れ落ちていきます。
この時、無意識に力みがあり、きっと、それは「転びたくない」という心の働きだと思いますが、動きを止める働きが出てきます。
ただ、意志の力を借りれば、下へと飛び込んでいくきっかけを得られます。太陽に近い左手指先から、手、前腕、上腕、左半身、頭、右半身、右上腕、右前腕、右手と徐々に動きが始まります。

ファーストペンギンが海に飛び込む。その姿を見て、残りのペンギンも次々に海の中へ。そんな「流れ」が身体の中に見つかった時、これまでとは違った軽やかさが見えてきます。

とはいえ、それは今必要ない、と思う人の方が多いでしょう。
何かを得ようとした時、そこに「必然性」というのがなければなりません。だからこそのの武術なのですが、武術を必要とする危険な世界は無くなりました。

人は老いる、絶対に

しかし、忘れないで欲しいのです。
私たちは「老い」ます。その老いを便利な機械、道具、サービスで誤魔化し、老化の自覚を後回しにしていますが、間違いなく老いて、「動けなくなる」のは確かなことです。

それでもまだまだ先、と思う人もいるでしょう。しかし、老い以外にも、病気や怪我、アクシデントが突然やってくるかもしれません。
どんな病気であっても、「動けない」という共通点があるのはわかりますか?

動けないということ

この「動けない」という状況が身体的には武術と同じなのです。
心から見れば、老いや病気、怪我が原因ですが、身体的にはどちらにせよ、動けないのです。
しかし、その「動けない」というのは自分の持っている「身体の認識のレベル」によって生まれてくるもの。身体が重く、布団からも起きれない、としたとしても、それが腹筋、背筋、背骨に力を入れる方法しか知らないからかもしれません。

地動説的に身体を動かすコツを知っていれば、ある朝、身体が重く動けない、と思ったとしても、身体の「重さ」自体が変わるわけではありません。腰に力が入らなければ、重さを使い、流れ落ちるように身体を使って起きてしまえば、またその日1日を過ごしていけるようになるはず。

機械や薬で元気になる方法はどんどんと開発されます。それはいいでしょう。
しかし、「認識」によって身体は滑らかに動く、それも知っておいてください。そして、それは自分の身体を通した「経験」でしか手に入らないものです。

ちょっと身体が重いな、具合が悪いな、そんな事を感じたなら大チャンス(笑)。ぜひ、ちょっとでも楽な方法を探すつもりで過ごしてみてください。きっと、身体の声が聞こえてくるようになります。書きます。

【稽古予定】参加受付中
3/13(日)つくば稽古会
3/26(土)甲野先生の浜松稽古会
4/9(土)川崎稽古会

2/18(金) 名古屋熱田
2/23(水) 名古屋
2/24(木) 瀬戸ヒーリング
2/25(金) 名古屋東山
2/26(土) 浜松

2月の「大垣」はお休みです。
詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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