贅沢な肉、贅肉

今日は「贅」肉のお話です。
これが「変」な話だ、という事は自覚しています(笑)。
ただ、身近であるからこそ、変に期待もなく、憧れも持たないまま、「すでに持っている力」として自覚がしやすいのではないか、と思っています。

骨を卒業し、肉へ

新しい動きを当たり前にするのを邪魔していたのは無意識にある観念です。
今回の場合は骨。骨が身体の「土台」である、という思いが強すぎたようです。
確かに構造上は土台です。背骨は身体の中心にありますし、腕や脚の中心にも骨があります。骨を覆うように筋肉、贅肉はついています。全部を活かすんだ、と考えたなら当然、骨を意識し、動かしてしまいます。

「脱骨格」というアイデアは「地動説」の動きから生まれたものです。
身体をいくつかに割って使う。そのためには太陽のように動かない中心を作り、身体そのものはいくつかの惑星のように引かれ、流れ、落ちるように動く。それをより確かに使おうとした時、「骨が邪魔をしている」、と気づいたのです。

気づいてみれば、身体は「簡単に」縦割れされ、常に流れがそこに感じられるようになりました。
腕をちょっと振っただけでも、その遠心力に合わせて、身体を貫く縦線が左右へと流れ、動きます。腹にも背中にも力みを作る事なく、腕が振れるようになりました。

そして、それは掴まれても同じ。
力任せにつかまれた時、相手の力に反射、感応するように、腹や背中、腕に力みが生まれがちです。
衝突してしまえば、力の大小がどうしても気になりますが、その衝突が常にずれる、当然ながら、力みなく動けます。一人で腕を振る時と、掴まれた時の振り方、それが変わらない、同じ感覚で動けるようになります。

縦割れするというのは正中線の分身

身体が縦割れする、というのも地動説の時にお話ししました。縦割れ自体の感覚はありました。しかし、背骨という強い正中線がリーダーシップをとると、その周りの縦線はどうしてもぼんやりしてしまいます。

それでも、縦割れ自体を意識できるだけで、これまでとは全く違うレベルの動きになるのですからその「効用」によって、デメリットの存在には気づく事も出来ませんでした。

その後、たまたま「脱骨格」に気づき、背骨への依存がなくなっていくにつれ、縦線それぞれがはっきりとしてきました。
左から右、右から左、ピアノの鍵盤を流していくような感覚で主役の縦線が動くようになってきました。

骨を大切にしない、捨てるのだ、と強く意識していたのがいつの間にか、複数の縦線自体に意識が行くようになり、自然と「肉」の働きを思いつくようになっていったのです。

肉は左右へと広がっている

身体が縦割れすれば縦線が見えてきます。
縦線が流れだして動きを感じていくと、次に見えるのは「左右」の限界です。
どこから流れて、どこで戻ってくるのか。それを考えた時、当然ながら、肉体の限界、左右の境目、体幹であれば、左のわき腹から右のわき腹、という事になります。

背骨を主役にしてしまうと、力は当然、背骨上を流れます。体幹だけで考えれば、背骨を流れている時、筋肉がそれを補佐して、贅肉は重さとして力を出す事になります。

もちろん、これでもいいのですが、武術において、それでは「間に合わない」状況がありました。相手に悟られてしまえばどれだけ大きな力も止められてしまいます。
多くの場合、相手も同じように背骨を主役にしています。技が効くか効かないか、解決だけに捉われるとフェイントなどの余技が必要になりますが、そのフェイントだって、ばれたら同じ。根本的な解決になりません。

そんな中見つかった縦割れの身体。
そしてそれらがリズムよく連動して動くと、相手は抑えどころを見失い力を入れれません。
この動きを作りだすのが「肉」なのですが、肉の中でも「贅肉」の方ではないか、と思うようになってしまったのです(笑)。

贅肉を愛す、せめて嫌わないように・・・

筋肉は人気です。
筋トレをすれば人生が変わる。私もそれは思います。それまでできなかった事が出来るようになるでしょう。そして、それは物理的な面でも、身体が変わった事により、精神的にも影響を与えるはず。当たり前の事です。

ただ、筋トレが「贅沢」な事だとわかっているでしょうか?
筋トレが出来るというのが当たり前ではありません。続けるか、やめるか、という問題以前に、筋トレが出来る、出来ないという問題があります。

昨年、私は激しいめまいを経験しました。
グルグル回る視界に立っていられず、数日、寝込みました。その後も足に踏ん張りを利かせる事がしにくくなって、それまでの姿勢保持のコツの多くを手放す事になりました。

私はめまいでしたが、世の中には様々な病気があります。特に風邪は高熱で身体が内側から変わり、緊張を取ってくれます。その結果、蓄えていた筋肉を手放す事になります。
筋トレの効果は高くても、それを維持させていくためには「休んではいけない」という事も忘れてはなりません。

まあ、そういうところも現代のように「一生現役」が望まれる中では人気が出た要因かもしれません。
ただ、間違いなく、老後、命が亡くなる直前には筋トレをする余裕はなく、ただ死と向き合わなくてはいけない時間がやってきます。

そんな時、何もしなくても「蓄えられている力」があればきっと、希望が持てるはず。その力こそ、「贅肉」なのです(笑)。

これまで「贅肉」は重さにしか働かない、と思っていました。贅肉を得れば骨と筋肉への負担は上がり動きにくくなります。重さを得て威力は得ても、それだけではちょっと・・・。
しかし、縦割れを見つけてみれば、その贅肉が逆にありがたさをもって感じられるようになってきました。

縦割れで必要なのは「移動できる場所」です。
その移動できる場所を「贅肉」は持っています。骨と筋肉は仲良し。伸びて縮んで骨格を助けます。
動きを自ら作り出していく。これ、「天動説」的だと思いませんか?

筋肉を動かす力が永遠に生まれるならばいいででょう。しかし、筋肉の弱点は持続力がない事です。太陽は核融合などの働きによって無限にエネルギーを放出しますが、筋肉は無理。数分全力で動いたならもう、力は空っぽ、無防備な状態になってしまいます。

縦割れの効用は「衝突を生まない事」です。
衝突が生まれなければ力む必要もなく、いつも通りで過ごせます。当然、筋肉への負担も少なく効率的にはいいはず。
しかし、それが分かっても「贅肉ラブ!」とはなかなかいきません。長年蓄積した観念は頑丈です(笑)。

しかし、それでも、働きを確かめていけばいくほど、この贅肉のありがたさが身に沁みます。
考えてみれば、人類がこれだけの「贅肉」を得たのは有史以来初めての事ではないか、と思うのです。まさに「贅沢な肉」なのです(笑)。
インドや中国、人の叡智の歴史が何千年あるかわかりませんが、何千年も前の彼らに「贅肉」の働きを体験するチャンスは皆無だったと思うのです。当然のように、骨や皮膚、内臓といった部分に研究の力は注がれたはず。

せっかく現代に生まれたのです。贅肉を使う使わないは置いておいて、嫌いだからといって、目を背けるのはかわいそう(笑)。
もう少し、研究します。そして、隠す事なく、全部お伝えするので、良ければ一緒に、研究してください。

【稽古予定】参加受付中
3/13(日)つくば稽古会
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3月の「大垣」は未定です。
詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト


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