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オードリー・若林正恭への依存と解呪。

月曜日、「明日のたりないふたり」を生配信で見た。爆笑しながら号泣した。

ライブの内容は書かないで、ということだったのでここから先は徹頭徹尾自分の話。



オードリーの若林正恭さんが好きだ。

ぼくは「その人が何をしていても好き」という種類の好意を、あまり人に抱かない人間だ。
そんなぼくがほぼ唯一自信を持ってファンだと断言できる人がこの人である。


若林さんにここまで入れ込むのは、自分が一番辛い時に助けてもらったという実感があるからだと思う。


社会人1年目の年、ぼくは完全に落ち込んでいた。

学生時代はわりとなんでもそつなくできる人間だと自分を評価していたのに、社会人になってみるとぼくは仕事というものが全くできなかった。

ミスが多い、自発的に課題を見つけて解決しようとするバイタリティもない、その場の立ち回りで周りの人を説得できる瞬発力もない。

上司も厳しい人だったので、ほぼ毎日怒られていた。


ミス、自己嫌悪、集中力の低下、またミス、という地獄の悪循環を繰り返し、自分が嫌になるばかりだった。


これは徹底的に落ち込んだことがある人にしか伝わらないのかもしれないが、徹底的に落ち込んだ時、人は楽しめるものが少なくなっていく。

好きだった映画、好きだった漫画、好きだった小説、好きだったバラエティ。

あんなに好きだったのになぜか楽しめなくなってくる。

漫画の主人公の前向きさも、小説の登場人物の成長も、きらびやかなセットの中での軽妙なトークも、全て自分のダメさ加減を浮き彫りにしてくる様で、楽しめなくなっていった。


そんな時、唯一自分のダメさを忘れて楽しめたのが、オードリーのオールナイトニッポンだった。

なぜかこのラジオだけは自分を責めている様には感じなかった。

全ての意味を無化していく様なくだらないやりとりと、そのくだらない話の中に叩き込まれる実感と痛み。

「もっとちゃんとやれ」という説教とも、生き上手の前向きな話とも、無責任な「気にしなくていいよ」という言葉とも違うやり方で、自分に生活を続けていく力をくれた。

空いてる時間は全てラジオの流れるイヤホンを耳に突っ込んで、嫌なことばかり考えてしまう脳を麻痺させていた。

なんだか過去形で書いてきてしまったが、27歳になった今も「20代に思い出したい日は1日もない」と言い切る若林さんの言葉をお守りに相変わらずクソみたいな自分の生活をやり過ごしている。


たぶん若林さんに依存していると思う。


そんなぼくが最近不安に思っていたのは「果たして自分は30歳を過ぎても若林さんを好きでいられるだろうか」ということだ。

若林さんの好きなところの一つは、「変わり続けていくこと」だ。

人見知りも卒業したと宣言するし、嫌いだと言っていた飲み会にも理解を見せる様になる。

一度公言した考えを変えることは、ともすれば信用を失ってしまいそうだが、バチバチの痛みと実感がこもった「変化」についてのトークは、逆に若林さんへの信頼を強めていった。

若林さんの変化の話を聴いて、自分もこう変わっていくのかなあと勝手に自分を重ねていた様に思う。


20代をクソみたいな日々と言い切る若林さんも、30歳の時にM-1で準優勝し、そしてその後はご存知の通りの快進撃を続けている。

もし自分が30歳になっても相変わらずクソみたいな生活を続けていた場合(かなり高い確率だ)、若林さんのトークすらも自分を責める「持つ者」の話に聴こえてしまうのではないか、それが怖かった。


でも今回の「明日のたりないふたり」を見て、たとえ自分が30歳を過ぎてクソみたいな生活をしていたとしても、きっと変わらずこの人のことを好きでいるだろうと思えた。


今回のライブを見ているとき、3つのことが繰り返し頭に浮かんできた。
若林さんも山里さんも直接そんなこと言ってないのに。

浮かんできたのは
・おれはお前じゃないし、おれたちはお前たちじゃない
・おれもお前も一生たりないまま
・でもそれぞれのたりなさに「その先がある」
ってことだ。


ライブの中盤で若林さんが山里さんから取り上げた「自虐の竹槍」をその手に返すとき、「おれは若林さんじゃない」という当たり前のことがようやく自分の中で腑に落ちてくれた。

山里さんの「たりなさ」は若林さんの「たりなさ」とは違う。

当然おれの「たりなさ」とふたりの「たりなさ」も違う。

テレビで10年以上大活躍を続けているふたりと、クソ仕事をクソみたいにしかこなせない自分の「たりなさ」が違うことは当たり前の話だ。

でもあれだけのことを一緒にやってきた若林さんと山里さんが、それぞれの「たりなさ」を違うものだとはっきり言ってくれたことで、ようやくそれが自分で認められた。


おれたちの「たりなさ」はそれぞれ別のものだ。



「たりないふたり」が始まった12年前と、ふたりの環境は何もかも変わっている。

芸能界での立場もプライベートでの立場も12年前とは全然違う。

でも若林さんは「今の自分も12年前と同じたりない目をしているし、この先もたぶんずっとそう」と言ってくれた。

ふたりがどんなに社会的に「たりてる」側に見えようとも、おれがどんなにふたりとかけ離れた「たりなさ」に苦しもうとも、たりない星の下に生まれてしまったやつらは、きっと一生たりないままだ。


おれたちのたりなさはそれぞれ別のものだけど、全員一生たりないままという一点でだけは、ずっとつながっている。



山里さんは取り戻した「自虐の竹槍」でこの先も戦っていくと言った。若林さんは擬態した「人間力のモデルガン」でこれからは戦っていくと言った。

「たりない」ことは一生変わらないかもしれないけど、それはこのままでいいってことを意味しない。

「たりない」ことを感じるとき、いつだっておれたちはその先にあるはずの何かを同時に感じている。


おれたちは一生たりないままだし、それぞれ別のたりなさだけど、全てのたりなさにいつだって「その先がある」。



おれは若林さんみたいにはなれないけど、それでもおれの「たりなさ」のその先を、若林さんみたいに見に行ってみたいと思った。

自分とは全く違う「たりなさ」でも、若林さんが「たりなさ」と戦う姿勢自体から、勝手に生きる力をもらい続けていくだろうと思った。



こういう痛いファンの重い気持ちが、若林さんのいかなる行動も制限しないことを願う。

若林さんが「たりない」ことをやめたって言い出したってそれはそれで全然いいのだ。

おれが勝手に今まで力をもらってきただけなんだから。


DJ松永と同じ言葉をおれも送りたいです。

若林さん、健康でいてください。


サイトウでした。



@ふたり
このライブに熱くなり過ぎたので、観てない人にはさっぱり意味のわからない文章を書いてしました。
自分で読み返しても情念こもり過ぎぃ!
来週からは落ち着いて書きます。

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