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プロペラの音が聞こえるとき

編集作業の息抜きに久しぶりに始めたブログなので、特に書きたいことはない。と言ってしまっては身も蓋もないので、何かこれまでに書いたことのない、そして書こうとも思わなかったことはないかと、考えていたら、とりあえずひとつ思いついた。僕が生まれて初めて「本」というものに出会った頃のこと。
とても古く、色褪せて、曖昧で覚束ない、ようするに不確かで、ある意味無責任な記憶を少しずつ辿りながら50年前の、ある何の変哲もない小さな出来事を少しだけ書いてみようとおもう。

僕は三人兄弟で育った。僕以外に姉が二人。五つ離れた長女とそのひとつ下の次女そして末っ子の僕。年をとってからの四つ五つはそれほどでもないが、幼児期の四つ五つの差は大きななものだった。三才くらいの自分にとって小学校に通う姉たちは、すでに社会の一員であり、またある種の共同体の中で生じる責任のようなものを背負った、確固たる存在のように感じられた。つまりその頃の僕からすると「向こう側の人」だった。

あれは下の姉が小学校に上がる頃の光景だから、おそらく僕は二つだったはず。そういえば、その頃近所のおばさんに年を尋ねられて指を三本立てて、三才になったと答えた記憶もあるので、たぶん年齢時期のわかる最も古い記憶の中のひとつだろう。
朝食を終えて、二人の姉が学校へ行ってしまうと、母親は洗濯機をまわしながら掃除を始める。後はもう何もすることがない僕は、二階へ上がり、ひたすら、ひとりで長い1日を過ごさなければならなかった。
もちろん長かったというのは今の僕からみたイメージだが、はっきりと憶えているその頃の主な出来事といえば、午前中によく空を賑わせていたセスナ機による広告宣伝飛行、今日はどこそこで売り出しだのなんだのと、遥か上空から妙に滑舌のいい輪郭のはっきりした女性の声が聞こえていたこと、そして時々近所の誰かが訪ねてきて玄関の土間で母親が話し込んでいたこと、またたぶん月末がくるたびごとに銀行や郵便局へ母親に連れられて行ったことくらいなので、多かれ少なかれだいたいそんな過ごし方だったとおもう。したがって、どう考えてもあとは手持ち無沙汰で、したいことも、すべきことも何もないぼんやりとした一日を、僕がひとりきりで過ごしていたのは間違いない。

そしてそんな幼児期の、大人たちはその日のうちにすべき雑事に追われ、幼児はただそれを一緒に見て、聞いて、経験を共にするしかないような、ある種間延びしたような”時間”そのものが、おそらく僕が「本」というものを意識しだしたきっかけになったのだとおもう。

長くなったので続きは次回にでも。

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