「当たり前の理解」をこそ「定義」せよ――いつか書くかも知れない麻雀戦術の序説Ⅱ

 麻雀とは、「最終的に一位になる」、それが不可能である場合は「最終的に四位になることを回避する」ゲームである。
 そしてそのために付与した定義は、「自身が和了ること」、それが不可能である場合は「自身が放銃をしないこと」である。

 この「定義」を読んだ貴方は、あるいは「何を当たり前のことを」と思ったかもしれない。そんなことは分かっているから、いいから「勝ち方」を教えろ、と。
 むろん、それ自体は語る。牌効率、押し引き、守備、副露判断、点数状況判断……そういうことは、ちゃんと語る。
 では、これを読み、そのように思った貴方に対しそういったことを語ったとして、「何故それによって勝てるようになるのか」についてを考えてみる気はあるだろうか、ということを言いたいのである。そしてその考え方は、これから語る「麻雀戦術」を理解するにあたり、非常に重要なことなのだ。
 例えば、これから語る牌効率の「技術」に、「5ブロック理論」というものがある。
 概要を書くと、「麻雀における和了の形は、4メンツと1トイツによって構成されるので、それ以外の余剰の牌を切るように打っていく基本戦略」である。
 もし貴方がこの「5ブロック理論」を知らなかったとして、麻雀のルールを知っているならば、「何を当たり前のことを」と思ったのではないだろうか? 実際に俺はそういう風に打っているのに勝てないではないか、等と憤慨する方もいらっしゃるかもしれない。
 しかし実際のところ、そのようなルールを、あるいは仮に「5ブロック理論」を「知って」いたとしても、それを理解できているかと言われれば、実践できているかと言われれば、首をかしげざるを得ない打ち手は、少なくとも貴方が想定しているよりも遥かに多いのである。
 ルールを知っていることと、ルールを理解していることは、違う。初心者プレイヤーと、少なくとも中級者プレイヤー以上の「差」を現前とさせる程度には、違う。
 さて、以上を踏まえた上で改めて、冒頭に掲げた私の「麻雀の定義」に戻ろう。

 麻雀とは、「最終的に一位になる」、それが不可能である場合は「最終的に四位になることを回避する」ゲームである。
 そしてそのために付与した定義は、「自身が和了ること」、それが不可能である場合は「自身が放銃をしないこと」である。

 やはり、当たり前のことが書かれているように思えるだろうか。
 しかしでは、貴方は具体的に「一位になる」ために、そのために「和了る」ために、どのように打っているかを、ごく簡単にでも概論を、「論理的」とまではいかなくとも「説得的」に説明することはできるだろうか?
 説明できないのなら、貴方はルールを「知って」はいても「理解」はしていない。「なんとなく」で打って結果を残している麻雀プレイヤーがいること自体は事実でも、普通、そういう人は強者にはなれない。
 麻雀を「理解」していない者に、麻雀を「定義」していない者に、強者はいない。
 ……などという風に言われて、「説得」されたと感じる人は、ごく控えめに言っても少数派だろう。そもそも、麻雀を「理解」している者など、皆無といってもいい。
 だからこそ、「定義」をする必要があるのだ。「麻雀を理解すること」ができないのなら、せめて「理解」できる範囲で、「麻雀とはこういうゲームである」という風に「定義」をしなければならない。厳密でなくてもいい。貴方の麻雀に対する理解度を超えない範囲で、「これで負けたら仕方がない」という程度には「定義」をしなければならないのだ。
 それができなければ、麻雀を「自由」に打つしかない。貴方が思うがままに麻雀を打ち、一回一回のゲームに対し「勝った」「負けた」に一喜一憂するような、「自由な打ち手」に……。
 それを望まないのなら、麻雀を「定義」するしかない。麻雀で「勝つ」ために、こういう打つ方をする、何故ならこういう理由があるからだ……最低限、その程度を語れなければ、「定義」ができたとは言えない。
 それを語れるようになった時、貴方の麻雀から「自由」が失われる代わりに、「自重」を得ることができる。「麻雀は何を打ってもいい」という「自由さ」に対し、説得的に「いや、私はそれでもこういう風に打つ。勝つために」といえるだけの「重さ」を得ることができる。
 何を切っても許される麻雀だからこそ、何かを頼りに打たなければならない。貴方が「麻雀とは勝ったり負けたりをただ繰り返す自由なゲームである」という「定義」に納得が出来ないなら、そうではない「定義」を作るしかない。
 その作業を「楽しい」と思えるか、その作業をすることによって貴方が「麻雀を好きでい続けられ」るかの保証は出来ない。これはよりよい「結果」を得るための作業であり、それ以上でもそれ以下でもない。それはとても辛いことであるかもしれない、ということはすでに書いたが、改めてそれを問いたいと思う。貴方には、麻雀を「自由」に打つ権利があり、それは何者にも奪うことは出来ない。

 以上を踏まえた上で、問題がなければ「定義」を始めよう。
 その上でまず、一番最初に画定されなければならない「定義」がある。
 何をするにしても、それを定めなければ何も始まらない、という「定義」があるのだ。
 それをまず、序章の掉尾に記そう。

 麻雀とは、短期的な勝敗で自らの「定義」を破棄してはならないゲームである。

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