読書をたくさんするべき理由

2021/12/6
これは経験があるのだが、本の中には、寝る間も惜しんで読みたいくらい熱中できる本がある。このような本を読んだ時間は、有意義に過ごしたと感じる。
一方で、どうしてもつまらなくて、寝てしまうくらいつまらない授業がある。これは勉強するための時間なのに、寝てしまっているのだから、時間を無駄に使ったことになる。
同じテーマを扱っていても、寝てしまうような途轍もなくつまらない授業もあれば、寝る間も惜しんで熱中できる本もある。
世の中には本がとんでもないくらい膨大にある。だから、本を探す手前をかければ、たぶん寝てしまうような授業と同じテーマで、熱中できるような本がみつかる。

また、本を読むと、色々な捉え方ができる。だから、もしかしたら、まったく違うジャンルの本を読んだら、今まで寝てしまっていた授業を別の捉え方ができるようになり、興味が湧いてくるかもしれない。
つまり、本を読むことで、いずれにせよ、(今回については)授業の時間、がより有意義な時間に変わるのだ。
これは、退屈だと感じている物事すべてに言えると思う。また、たくさんの本を読むほど、あらゆる退屈さがなくなり、有意義になっていくと思う。だから、より有意義に過ごすために、たくさんの本を読むのがよいと思う。

あと、これは個人的な感想なのだが、興味があることは素晴らしい。これは恵まれたことで才能だと思う。だからこそ、無駄にしてはいけないと感じている。

授業を寝ている(もしくは退屈に授業をうけている)のは、時間の無駄かつ、興味にさく時間を減らしているから、興味の無駄でもあると思う。

だから、僕は自分の興味が動くまま、本を読む。授業は最初の方をちゃんとうけて、興味がないと感じたら、興味がある本を読むのがよいと思う。

自分の興味が動くままに本を読むためには、自分の興味を搔き立てそうな、図書館でぶらぶらする。そうして、気に入った見出しの本を片っ端から手にとって借りる。図書館でぶらぶらする順番は、なるべく実用の分野から当たっていく。なぜなら、実用かつ、自分の興味があることは、自分と世の中のどちらのためでもあって、自分が実用的な本を熱中して読むことは、win-winの関係を築くことでもあるからだ。

したがって、興味は個人の特有な才能であるから、興味を無駄にすることはより神経質になるべきで、自分の興味と世の中の役に立つことが重なる本を優先的にたくさん読むのがいいと私は思う。

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