松雪泰子さんについて考える(60)舞台『世界は笑う』

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*松雪泰子さんについて考える(51)「歌は語れ、セリフは歌え」*

松雪さん出演シーンの充実度:8点(/10点)
作品の面白さ:8点(/10点)
上演年月:2022年8月(渋谷・Bunkamuraシアターコクーン)
公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/22_sekaihawarau/
視聴方法:WOWOW

※会場での観劇ではなく、WOWOWで視聴した感想です。
※結末に関するネタバレを含みますので、ご注意ください。

作はケラリーノ・サンドロヴィッチさん。上演時間3時間25分。

冒頭、大きい三日月が夜を照らしている。『東京月光魔曲』さながら、月は何かのモチーフのよう。エンディングシーンにも現れ、意味ありげに登場人物たちを俯瞰している。

ときは昭和30年代前半。終戦から10年少々。東京の小さな劇団。

作者・演者・観客の間にある谷。作者がつくりたいものと観客が求めるものは異なるし、演者がやりたいことと実際に充てられる役は異なる。同じ作品でも、観客によって受け止め方は違う。

ときにはその谷を飛び越えようとして、足を滑らせる者がある。谷底に落ちたのは誰か。出征先で慰問興行を観て長い夢から興醒めしてしまった喜劇俳優(大倉孝二)であり、俳優業に敗れ作家に転身するも大衆にウケなかった若き青年(千葉雄大)である。

喜劇俳優は演劇界から露と消えた。しかし、青年は諦めない。谷底から懸崖を登りはじめる。世界を笑わせることを目指して。冒頭での彼の咆哮と、再起を予感させる結末を見る限り、この作品には、芸能の世界に生きる同胞に対するケラ氏なりのエールが込められているようだ。たとえ苦しくとも、共に谷底から這い上がろうと。

舞台のセットに目を瞠る。街頭、芝居小屋、旅館、飲み屋街。特に後半の旅館が見事だった。鳶色の板張りに緋毛氈。足で踏めば少し軋む、あの感覚がこちらにまで伝わってきそうなリアリティ。小さいバーカウンター、庭の池、中央階段。高低も奥行きもあり、老舗旅館そのもの。

この旅館の場面でのプロジェクションマッピングも秀逸だった。ヒロポン中毒(または禁断症状)により幻覚が見えるシーン。黒い虫が辺りを埋め尽くし、空間に歪みが生じ、館全体が粉々に崩れていく。このシーンこそ劇場で観たかった。

序盤での使われ方も良かった。出演者名が一人一人映し出され、舞台上の俳優にスポットが当てられる。テレビドラマ的な演出の移植が、よくハマっている。

松雪さんは、このシーンで初めて登場。暗転明けは街頭のセットになっており、少し間をおいて、貸本屋の店員「初っちゃん」として登場する。ちょっと抜けたところのある、人当たりのいい寡婦。夫は戦地へ行ったきり、終戦しても帰ってこない。劇団「三角座」の人気喜劇俳優(大倉孝二)だった。

今作でも、声色が独特に調律されていて、他作品での声と違う。

松雪さんに関するこのシリーズの投稿では、「他作品での声と違う」と書くことが多い。何度も繰り返していると嘘くさく見えないかと思う一方、本当なのだから書かずにいられない。少なくとも自分はそう聞こえる。

今回の役柄は、“おねえさん”と“オバさん”の中間くらいの雰囲気。それが、声色によく反映されている気がする。どちらかというと、“オバさん”寄りか。色っぽさは出さず、生活感をまとった、明るく朗らかな声。

しかし、旅館の重要なワンシーンで一変する。戦地に消えた夫(大倉孝二)が姿を現し、2人で新しい人生をやり直そうと持ち掛ける。この場面では、鋭く冷たい声に変わる。まさに“女”。緊張感漂うシーンゆえ、もちろん声だけでなく表情等も別人のようになるのだが、声色をはっきり区別している効果が大きい。

この夫婦のシーンは、大倉孝二さんも素晴らしい。コミカルでけれんみ溢れる芝居のイメージが強い大倉さんが、こんな二枚目な男を演じるのは拝見したことがなく、すごい色気だった。一人二役で演じている弟役のフリが効いているせいもあるが、それにしても、このあと妻(松雪)が何もかも捨ててついて行く決心に至るのも納得できる。

大倉さん以外の俳優も達者な方々ばかり。全員良いが、個人的には山内圭哉さんの“間”や瞬間的な表情が特に素晴らしいと思った。おかげで、笑えるシーンでしっかり笑える。

主役の瀬戸康史さんも良い。顔、声、演技の三拍子揃っているなか、表情や所作にどことなく石黒賢さんを感じる。

この主人公(瀬戸)は初っちゃん(松雪)に片思いを寄せるが、上述のとおり、初っちゃんは夫と共に姿をくらます。結局、劇中で一途な思いは成就しなかったのだが、終演後のカーテンコール1回目、舞台をおりていくときに初っちゃんは主人公に腕を絡ませる。あの演出は心憎い。

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