読書記録(17)永井荷風『腕くらべ』
岩波文庫、1987年新版第12刷(2006年発行)。
表紙に書いてあるこのあらすじは、少し違う気がする。
「誠と意地に生きる」とあるが、駒代は別にそんな高邁な精神は持ち合わせていないような。
「一切の義理人情を弁えない男の腕くらべ」とあるが、吉岡も瀬川も人間性そのものが冷酷ということはなく、ささいな行き違いから結果的に駒代を苦しめることになっただけではないか。
何より、「腕くらべ」は駒代と他の芸妓との腕くらべであって、男との腕くらべではない。それは巻末解説の中ではっきり書いてあるとおりだと思う。
同じ坂上博一氏が書いておきながら齟齬が生じているのは何故。
それはいいとして。
小金持ちの吉岡は駒代にアプローチ。その熱烈ぶりに駒代はドンびきし、反動で瀬川という若手俳優に恋をし、アプローチ。しかし今度は瀬川が駒代の熱烈ぶりにドンびきしてしまう。そこにそれぞれの邪な考えや打算が重なり、結果、吉岡も瀬川も別の芸妓を落藉し、駒代は一人ぼっちになる。
駒代は、瀬川に捨てられた可哀相な女という目で周囲から見られるようになり、居場所を失いかける。そこへ、芸妓置屋の主人「呉山」が、駒代に身寄りが一人もいないこと、そして瀬川との結婚が破談したことなどを知るに及び、それなら俺が面目を守ってやろうと、この置屋を駒代に譲ることに決める。呉山の義理と人情に駒代が涙を流す、このほろっとくるエンディングは、清涼感がある。
この講釈師「呉山」は、実に粋でかっこいい。普段は芸妓置屋の経営に余計な口出しをせず、韜晦を含んだ謙虚な身構え。序盤で一度登場して以降、ほとんど出てこないが、終盤で再登場したのち最後に鮮やかな見せ場をつくってくれる。
そんな呉山が初めて登場した序盤のシーンは、文筆家「倉山南巣」が呉山の芸妓置屋を訪れ、四方山話をする場面。二人の交わす芸能論が出色。活動写真(映画)が台頭しはじめたことにより、旧来の講釈・義太夫・落語などの寄席文化が退潮気味であることを憂いながら、次のような呉山のセリフ。
当時、蓄音機やら活動写真やらの登場が、客前でライヴで芸を見せる舞台や寄席にとって大きな脅威に映ったことだろうけど、結果論、100年経ったデジタル円熟期の今でも生の芸能文化は太く強く脈打っている。むしろデジタル化が進めば進むほど生の価値が反比例しているかのよう。いずれにせよ、昔も今も「芸能はやっぱり生でしょう」という信条の人々がいて、そういう人々の支えが舞台や寄席の文化を後世に繋いできたんだなぁと、当たり前のことながらしみじみ。
さて、呉山と芸術論を語り合った倉山南巣も、その後しばらく登場しないのであるが、根岸の自邸が描かれる場面で久しぶりに出てくる。そして、とにもかくにもこの場面の風景描写が絶品。
蚊の脚が黒白の縞模様になっているのを「股引はいた」とかわいく表現するのが面白い。
「真菰花さく夏の夕は簾に雨なす蛍を眺め」は7・7・8・7音のリズムがいい。
「珠を転ばす蓮の葉」の詩情。ちょうど最近、蓮の花が見ごろを迎えた公園で、葉の上に乗った雨水の粒を見ることがあった(下の写真)。葉の揺れとともに粒がまさに「転ばす」さまは、見ていて飽きなかった。
夏→秋→冬→春→夏とめぐる一年の庭の表情が、香り高い筆致で生き生きと描出されている。
こうした麗しい美文が、駒代に加虐的な性癖をぶつける「海坊主」の醜態が描かれた直後に位置しているため、余計にその風雅が引立つ。
巻末解説(坂上博一)では、次のように書かれている。
『つゆのあとさき』でも同様に、閑居に醸される視覚的聴覚的風情をリズムよく描いた美文が出てきた。こういう文を見つけるためだけでも、永井荷風の作品は読む価値があるかもしれない。
それにしても、作中に頻繁に出てくる芸妓の身なりを表す文章を読むにつけ、自分には着物の基礎知識が全く欠け落ちていることを痛感し、忸怩たる思い。逆に、このあたりのことも理解しながら読むと、新しい何かが見えるのでは?と考え、「きもの語辞典」(岡田知子著、木下着物研究所監修、誠文堂新光社)を購入。かわいいイラストつきで分かりやすい。こういうのが欲しかった。小説を読むときに座右に置こう。
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