読書記録(19)織田作之助『夫婦善哉』
9月にシス・カンパニーの舞台『夫婦パラダイス ~街の灯はそこに~』を観に行く。これが織田作之助『夫婦善哉』をもとにしているので、観劇前に読んでおくことに。どうやら、原作のストーリーをそのまま舞台化しているわけではなさそうだが。
新潮文庫『夫婦善哉 決定版』、平成28年発行、第1刷。
『夫婦善哉』
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オチがいい。法善寺横丁で、タイトルどおり「めおとぜんざい」を食べる。ダメ亭主に折檻を繰り返す妻。それでもダメぶりが治らず何度目かの家出。妻は情けなくなりガス自殺を試みるのだが失敗する。そんな笑えないシーンのすぐあとで上記のオチを迎える。落差がすごいが、それこそが一筋縄でいかない「夫婦」という関係性の真諦?ただ、「夫婦」といっても蝶子は正妻でない。
長年連れ添ってはいるが「鴛鴦夫婦」「琴瑟相和」と言うには難があるややこしい仲。睦まじいさまは楽しいが、ちょっと単調に感じた。夫婦は商いをコロコロ変えるのだが、その経緯や事情などの叙述が「小説」でなく「説明」に終始している気がして。風景、天気、音などに心情を仮託することもなく、含蓄あるセリフも少ない。
そういうところを指してか、巻末解説(青山光二)にはピリ辛な表現も。
ただ、あまり作中で言及されないが、子宝に恵まれなかったということを補助線にしてみると、この淡々とした描写にもまた異なる趣を感じられる。
『続 夫婦善哉』
『夫婦善哉』が上梓された1940年(昭和15年)から60年以上経った2007年に発表された続編。「改造社」を創業した山本実彦の遺族が出身地の鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)へ寄贈した大量の生原稿の中から見つかったものらしい。
大阪から別府に舞台を移すも、相変わらず一筋縄でいかない夫婦。そもそも別府に移った契機こそ、家出放浪中のダメ亭主の思いつきという有様。
例によって、純粋なハッピーエンドといえるオチがいい。巻末解説いわく、織田作之助はオチから逆算して筆を執っているとのこと。
ダメ亭主の代わりに金を稼ぐ腕っぷしのいい妻、そして浪花言葉。それなら、本作も悪くないが、山崎豊子『花のれん』を推したい。
『木の都』
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16ページの短い話。私小説的。ちょっといい話。
『六白金星』
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戦時中の1940年(昭和15年)に書いたものの検閲にかかって発表を許されなかった作品とのこと。六白金星は占い用語。発達におくれのある楢雄と、兄、母の家族。母が正妻でなく妾であることを知った兄弟がそれぞれ自我の確立に挑むも、それを容易にさせない社会を前に苦しむ。
『アド・バルーン』
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捨てる神あれば拾う神。人のために何かをすることがめぐりめぐって自分に還ってくる。読後感がいい。
『世相』
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主人公は織田作之助自身で、小説のネタを探しているあいだの出来事などを綴った私小説。作中、阿部定の公判記録(現実の事件)をネタにしようとするが、公判記録それ自体がひとつの文学になっていると見るあたりは川端康成『散りぬるを』と似たような感覚。ラストシーンで小説ネタの糸口を見つけるさまには、ふと夏目漱石『草枕』を思い出す。
『競馬』
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オチもいいんだけど、序盤の競馬ファンあるあるに笑ってしまう。
私も小学生の頃に漫画・アニメの「みどりのマキバオー」に触れて以来ずっと競馬ファンで、ディープインパクトの引退レースとなった有馬記念(2006年)は大学生のときに観に行ったし、フランスのロンシャンで行われる凱旋門賞も、日本からゴールドシップ等が参戦した2014年に現地観戦した。今も月に2千円だけ、スマホで馬券を楽しんでいる(儲かってはない)。
コロナ以降競馬場に行っていないが、そろそろ子どもを連れて行ってみたい。この10~20年でだいぶん競馬場もクリーンになった。親子連れで楽しめる付属施設や飲食店も整備されている。
それでも上述のような、雑念に惑わされ逡巡しつつも勝負に出た結果外れ馬券を手に阿鼻叫喚する羽目になった同士たち(主におっちゃん)は今でも競馬場に犇めいているが、歌舞伎なら大向うの声、相撲なら座布団が飛ばないとなんとなく寂しいように、どれだけ競馬場がコンプライアンス化しようとも彼らはそこにいなくてはならない「聖職者」の感すらある。「やられたー!」「あちゃー!」の声の中にじんわり滲む「まぁいっか、次だ次!」という屈託のない希望。子どもに、ぜひあの人たちの姿を見せたい。
ギャンブル依存症は考え物だが、ほどほどに済ませる限り彼らは尊ばれてしかるべき「自発的納税者」とも呼べるだろう。
結論。『夫婦善哉』も悪くないが、『アド・バルーン』『世相』『競馬』が面白かった。
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