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読書記録(18)太宰治『桜桃』

ハルキ文庫、2023年5月発行、第6刷。

〈子供より親が大事、と思いたい――〉ちょっとした冗談を言った母親と父親がすれ違った。妻も三人の子も仕事もみんな大切に思っているのに、自ら夫婦関係を壊してしまうジレンマを抱えた父親の姿を描いた表題作「桜桃」。肌だけで生きている――何よりも吹き出物を嫌がる女性の、勝手ながらもどこか愛らしい心理を綴った「皮膚と心」。そして、代表作「ヴィヨンの妻」を含め、多岐にわたって人間の弱くも優しい姿を追求した全四篇を収録。(エッセイ・又吉直樹(ピース))

カバーより

『ヴィヨンの妻』

(※青空文庫へのリンク

ダメ人間の引力。堕落の魔力。それらは不思議と周囲の人を引き込む。

大谷さんのへんに静かで上品な素振りが忘れられません。魔物がひとの家にはじめて現われる時には、あんなひっそりした、ういういしいみたいな姿をしているものなのでしょうか。

P19

私は、あっけなくその男の手にいれられました。

P46

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

P48

関係ないが、最近観た映画『大いなる不在』も、ダメ人間と関わるうちに周りの人がダメになっていく話だった。


『秋風記』

(※青空文庫へのリンク

僕とKの関係性が複雑で不透明。血の繋がりを感じないでもない。華族あるいは富裕層らしい。

生まれて、十年たたぬうちに、この世の、いちばん美しいものを見てしまった。

P50

「いちばん美しいもの」とは? 2~3想像するが、果たして。

「たいてい、わかるだろう? 僕がサタンだということ。僕に愛された人は、みんな、だいなしになってしまうということ。」

P67

『ヴィヨンの妻』と同様、「ダメ人間の引力」「堕落の魔力」的な。


『皮膚と心』

(※青空文庫へのリンク

「皮膚のかゆみ」の際限のなさを恐れる。痛くて失神したり死んだりすることはあっても、かゆみでそんなことにはならない。その「かゆみ」から派生して、蚤、しらみ、そして単に見た目がぐじゅぐじゅしたものをも忌み嫌う、集合物恐怖症。

そんな女性に吹出物ができてしまい、病院で診察を待つ間に色々考える。行き着いた先は、冒頭リード文のように自分が「肌だけで生きている」ことにはっとする。純潔だと思っていた自分の奥底に、動物的・情欲的な片鱗を見る。

男女七歳にして、という古い教えが、突然おそろしい現実感として、私の胸をついて、はっとしました。

P93

「男女七歳にして」を、前述『秋風記』の「生まれて、十年たたぬうちに、」へ繋げて考えると…。


『桜桃』

(※青空文庫へのリンク

日本中の(世界中の?)お父さんは、これを読んで涙を流さずにはいられない気がする。「その気持ち、俺も分かるよ」と。もちろん私もその一人。

この夫婦は既に述べたとおり、手荒なことはもちろん、口汚く罵り合った事さえないすこぶるおとなしい一組ではあるが、しかし、それだけまた一触即発の危険におののいているところもあった。両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危険、一枚の札をちらと見ては伏せ、また一枚ちらと見ては伏せ、いつか、出し抜けに、さあ出来ましたと札をそろえて眼前にひろげられるような危険、それが夫婦を互いに遠慮深くさせていたと言って言えないところが無いでも無かった。

P106

表向きは穏やかな家庭でも、夫婦の会話は相手の言葉の裏にある真情の読み合い。悪気無く発せられた言葉であろうとも、悪い意味に捉えてしまう。待てよ、むしろそう思わせたくてあえて発した言葉なのか?などと迷路のような考察の堂々巡り。

私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽けらく」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。

P102

つまり、私は、糞真面目で興覚めな、気まずい事に堪え切れないのだ。私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、

P102

私は議論をして、勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。そうして私は沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手に気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが確信せられて来るのだが、いちど言い負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも陰惨だし、それに私には言い争いは殴り合いと同じくらいにいつまでも不快な憎しみとして残るので、怒りにふるえながらも笑い、沈黙し、それから、いろいろさまざま考え、ついヤケ酒という事になるのである。

P105

程度の差こそあれ、どこのお父さんもこうだろう。

そして、ストレス発散のため、というか大して発散もできないけれど、とりあえず深呼吸したくて独り酒を吞みに店へ行く。

「きょうは、夫婦喧嘩でね、陰にこもってやりきれねえんだ。飲もう。今夜は泊るぜ。だんぜん泊る。」
 子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
 桜桃が出た。
 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐はき、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

P109

「極めてまずそうに」が分かる気がする。結局、思い切りよく自分のことだけ考えて桜桃を味わえない。頭の中に浮かぶ子どもの顔。いやいや今この場ではこの桜桃は俺のものだ。でも子どもに食べさせたら喜ぶだろうな。でも今はストレス発散のためにこの店に来たのだから…。

結局、味わえない、楽しめない。「子供よりも親が大事。」と思いたいけど思えない。非情になりきれない。そこにまたもどかしさを感じる。

男がこんなグズグズ考えていることなんて、奥さんからしたら「くだらんことを考えている暇があったら家事をしろ。子どもの面倒をみろ。」で終了なんだろうけど。まぁそうだよね。とりあえず皿洗いでもしようか。


巻末に太宰ファンでおなじみの又吉直樹さんのエッセイ。

流行のラブソングを聴き「これ私達の曲だよね」などと自己中心的に物事を捉えヘラヘラ笑う男女を奇妙な生き物のように感じていた僕が、太宰を読んでこれは自分の物語だと強く思ってしまったのだから不思議だ。(中略)この共感の強度が太宰の魅力であり「太宰は自分のことを解ってくれている」、「自分だけが太宰を理解している」と信じてしまう熱狂的なファンを多く生み出す理由だろう。

P121

なるほど。『桜桃』に関してはまさしくそうだった。

あまり引用しすぎるのもよくないので控えるが、又吉さんの文章には静謐な太宰愛が滲んでいてとても良かった。人の心に敏感な、やさしい人なんだと思う。その人格形成に少なからぬ影響を与えた太宰作品たち。他にも読んでみよう。

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