ハルキ文庫、2023年5月発行、第6刷。
『ヴィヨンの妻』
(※青空文庫へのリンク)
ダメ人間の引力。堕落の魔力。それらは不思議と周囲の人を引き込む。
関係ないが、最近観た映画『大いなる不在』も、ダメ人間と関わるうちに周りの人がダメになっていく話だった。
『秋風記』
(※青空文庫へのリンク)
僕とKの関係性が複雑で不透明。血の繋がりを感じないでもない。華族あるいは富裕層らしい。
「いちばん美しいもの」とは? 2~3想像するが、果たして。
『ヴィヨンの妻』と同様、「ダメ人間の引力」「堕落の魔力」的な。
『皮膚と心』
(※青空文庫へのリンク)
「皮膚のかゆみ」の際限のなさを恐れる。痛くて失神したり死んだりすることはあっても、かゆみでそんなことにはならない。その「かゆみ」から派生して、蚤、しらみ、そして単に見た目がぐじゅぐじゅしたものをも忌み嫌う、集合物恐怖症。
そんな女性に吹出物ができてしまい、病院で診察を待つ間に色々考える。行き着いた先は、冒頭リード文のように自分が「肌だけで生きている」ことにはっとする。純潔だと思っていた自分の奥底に、動物的・情欲的な片鱗を見る。
「男女七歳にして」を、前述『秋風記』の「生まれて、十年たたぬうちに、」へ繋げて考えると…。
『桜桃』
(※青空文庫へのリンク)
日本中の(世界中の?)お父さんは、これを読んで涙を流さずにはいられない気がする。「その気持ち、俺も分かるよ」と。もちろん私もその一人。
表向きは穏やかな家庭でも、夫婦の会話は相手の言葉の裏にある真情の読み合い。悪気無く発せられた言葉であろうとも、悪い意味に捉えてしまう。待てよ、むしろそう思わせたくてあえて発した言葉なのか?などと迷路のような考察の堂々巡り。
程度の差こそあれ、どこのお父さんもこうだろう。
そして、ストレス発散のため、というか大して発散もできないけれど、とりあえず深呼吸したくて独り酒を吞みに店へ行く。
「極めてまずそうに」が分かる気がする。結局、思い切りよく自分のことだけ考えて桜桃を味わえない。頭の中に浮かぶ子どもの顔。いやいや今この場ではこの桜桃は俺のものだ。でも子どもに食べさせたら喜ぶだろうな。でも今はストレス発散のためにこの店に来たのだから…。
結局、味わえない、楽しめない。「子供よりも親が大事。」と思いたいけど思えない。非情になりきれない。そこにまたもどかしさを感じる。
男がこんなグズグズ考えていることなんて、奥さんからしたら「くだらんことを考えている暇があったら家事をしろ。子どもの面倒をみろ。」で終了なんだろうけど。まぁそうだよね。とりあえず皿洗いでもしようか。
巻末に太宰ファンでおなじみの又吉直樹さんのエッセイ。
なるほど。『桜桃』に関してはまさしくそうだった。
あまり引用しすぎるのもよくないので控えるが、又吉さんの文章には静謐な太宰愛が滲んでいてとても良かった。人の心に敏感な、やさしい人なんだと思う。その人格形成に少なからぬ影響を与えた太宰作品たち。他にも読んでみよう。
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