コッパイタリア(イタリア杯)決勝の歴史、文化的背景を交えた考察

※私個人はナポリファンであるので文章がややナポリ寄りになっている可能性が高いです。ユヴェントスファンの皆さん申し訳ございませんがよろしくお願いします

皆さん、イタリアといえば何を想像しますか?ピザ、コロッセオ、ダ・ヴィンチなどを思いつくと思いますが、その中の一つにサッカーを思いつく人は少なくないと思います。イタリアは、ヨーロッパの中でも、コロナウイルスの被害を、最も早くからそして深刻な被害を被った国です。このウイルスのせいで、サッカーを含めたすべての大規模イベントが無期限に中断されました。しかし、幸運なことに状況は徐々に良くなりつつあり、ついに6月12日にサッカーの再開が政府に認められました。そして、6月12,13日にイタリア杯(日本サッカーで言う天皇杯)準決勝が行われ、6月17日に行われる決勝の対戦カードが決まりました。イタリアの絶対王者「ユヴェントス」対南イタリアの強豪「ナポリ」という構造です。

ではまずそれぞれのチームについて簡単に紹介します。

まずはユヴェントス。1897年に創設され、イタリア北部トリノに本拠地を構える、イタリアの絶対王者。セリエA優勝35回、イタリア杯優勝13回、欧州チャンピオンズリーグ優勝2回を誇る強豪です。一方でナポリ、イタリア南部のナポリに本拠地を構える1926年創設のチーム。セリエA優勝2回、イタリア杯優勝5回という成績です。
 一見、絶対王者対それに挑む2番手、3番手の挑戦者という構図に見えますが、この対戦カードはイタリアの歴史と文化を絡めて考えると、よりこの試合が面白く見えてくるでしょう。

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まずは、両者の歴史的観点から見ていきます。実はイタリアという国が統一されたのは1861年で以外にその歴史は浅いのです。それまでは各都市が自治権を持つ都市国家として成長しました。1860年代ヨーロッパではすでにイギリスが産業革命の成功により世界一の大国となり、隣国フランスも1830年代に産業革命を成功させ大国としての地位を築きました。一方でイタリアは分裂したまま。そこで、サルデーニャ島と現在のトリノなどを含むイタリア北西部を支配していたサヴォイア家のヴィットリーオ・エマヌエーレ2世は隣国との協力もあり、イタリア北部からローマ以北の中部イタリアまでの統一を達成しました。同時期に、ガリヴァルディが当時イタリア南部を支配していた両シチリア王国を滅ぼしました。そして、勝ち取った領土をサヴォイア家に寄進したのです。これによりイタリアは統一されたのです。
では、これがどのように関係するのでしょうか。トリノは私が言ったようにサヴォイア家の主要都市でした。一方でナポリは両シチリア王国における主要都市だったのです。つまりナポリの人からすると、「サヴォイア家に併合された」という負の感情が歴史的にあります。さらに、統一後、北部はフランスと近いということもあり、多くの新技術が流入してきました。そして、トリノやミラノといった北部の都市を中心に産業が発展していきました。FIATなど今でも有名な会社は北部で起業されました。その一方で南部の人は、相対的に貧困に苦しむようになりました。そこで、南部イタリア人は活路を求めて、アメリカ大陸に移民として渡ったり、北部に仕事を求めて移住したりするようになりました。その結果、南北格差は広まったのです。
次に経済的観点から見ていきましょう。2019年におけるイタリアの地域別平均収入を比較すると北部の人は年収30276€(約363万円)に対し南部の平均年収は26473€(約317万円)。実は、過去に生まれたこの経済的格差は、現在でも是正されていないのです。これを如実に表したサッカーのチャントがあります。タイトルは”Juve merda(くそユーベ)”。

É lunedì che umillazione/andare in fabbrica al servizio del padrone/oh juventino ciacchi a piselli di tutta quanta la famiglia Agnelli/E juve merda, juve juve merda
屈辱的な月曜日/雇い主のために工場で仕事をしに行く/ああ、ユヴェントスファンよ、アネッリ一族(FIATの創業一族)の…(この後は非常に汚い侮辱の言葉が入ります...)

このチャントはまず、ローマで作られ、のちに南部のチームに一気に広まっていきました。ここにおける工場とはもちろんFIATの工場を指しています。つまり、この曲は、イタリアにおける南北格差への不満を如実に表しているといえるでしょう。実際、ユヴェントスとナポリのユニフォームの胸スポンサーを比較してみましょう。前者はJEEPです(FIATがJEEPを傘下にしたから)。後者はイタリア南部を拠点とする飲料水メーカーのLete。世界的企業と一国の地域企業。ここでも如実な差が見て取れます。


では、経済的には勝てない南部の人たちが何で勝負したのか。それが、サッカーだったのです。もともと、北部を中心にサッカーは広く行われていたのですが、地域ごとにルールは異なっていました。そこで、1926年にムッソリーニ政権下でイタリア国内におけるサッカーの統一ルールが制定されました。それを機に、現在のナポリは生まれたのです。さらに、国内リーグもその3年後に発足しました。
南部のナポリからすると、北部のユヴェントスをぎゃふんといわせる機会でもあったのです。残念ながら、結果はそう簡単にはついてきませんでした。資金力を武器に優秀な監督や選手を連れてくるユヴェントスに対し、それができず常に負け続けるナポリ。しかし、1984年。1人の男が南部の弱小チームを変えたのです。それは、ディエゴ・マラドーナ。彼を中心に、どんどん北部の強豪に勝っていくナポリに人々は心酔していました。そしてついに1986年、ナポリは初のセリエA優勝を果たしたのです。彼がナポリを去ってから30年程度がたちましたが、ナポリの人は彼をいまだに「ナポリの神」として崇拝しているのです。

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それもそのはず、ナポリはマラドーナが去ってから一度も優勝ができていないのです。さらに、2000年代には破産も経験し、3部からの再出発も経験しました。それでも、ナポリの人々はナポリを応援し続けました。サッカーチームのナポリは街の希望であり続けたのです。そして、オーナーも変わり、優秀な若手を中心にしたチーム作りで、近年は対ユヴェントスの急先鋒の一つとして考えられています。
では、ユヴェントスには、ナポリのような熱狂的なファンがいなかったのでしょうか。そうではありません。2016年の調査によると国内の34%がユヴェントスファンなのです。そのうえ、ヨーロッパの主要大会で優勝したこともあり、世界的に人気なチームとなっています。しかし、そんなユヴェントスも2006年に1度2部に降格しているのです。それはイタリアサッカー界を揺るがすスキャンダルによるものでした。八百長試合をしていたのです。それでも、ファンも選手もユヴェントス愛を貫き、数年で1部に復帰し、相変わらずな強さを見せています。やはり人は少し悪いけど、強いものに魅力を感じるのでしょうか。(下の写真は、ナポリからユベントスに移籍したサッリ監督と前エースゴンザロ・イグアイン:ナポリ→ユベントスへの移籍はナポリの町では禁断の移籍と呼ばれ、当時は人気者の2人も今では裏切り者のレッテルが貼られています。)

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最後に、この試合の注目点を言って終わりにしようと思います。まずは、世界的スター、クリスティアーノ・ロナウドがどのように活躍するのか、はたまた不発なのか。一方で、長年一緒にプレーしているメルテンス、インシーニェのコンビが得点するのか。守備においては、アヤックスから移籍してきた有望株CBデリフトとボヌッチのCBコンビがナポリを抑えるのか、昨年のセリエA最優秀ディフェンダーのクリバリが率いるナポリディフェンスがユヴェントスを抑えるのか。前回好セーブを連発したナポリ・オスピナの欠場がどう響くのか。また、交代枠が5つあるのでそこをどう使うのか。ユヴェントスのサッリ監督は古巣対決ということも注目です。ゲーム展開としては、細かいショートパスをつないで攻撃するユヴェントスとしっかりブロックを敷いた守備を行い、カウンターを狙うナポリという構図が予想されます

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今期の対戦成績は互いに1勝1敗、イタリアサッカー界大注目の一戦における歴史、文化的背景も交えながら紹介してみました。スポーツに関心がない人でも、歴史文化的視点を交えると少し、面白く見えるのではないでしょうか。

参考
・demos.it / il tifo calciastico in Italia, Settembre 2016
・Coro juve merda
・wikipedia /“juventus FC”, “SSC Napoli“
・Money.it/ Stipendi medi in Italia nel 2020: ecco chi guadagna di più








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