チンパンジーと心の理論 : 松沢哲郎『チンパンジーの心』

松沢哲郎さんの『チンパンジーの心』(2000年: 岩波書店) を読みました。
今までに松沢さんの本は3冊読んでいますが、どの著書もとても興味深い内容です。「もし寿命が2年縮むとしてもこの本は読む!」と思える名著でした。

松沢哲郎さんは "比較認知科学" という学問の研究者です。
天才チンパンジーアイちゃんの育て親だと言えばわかる人もいるかもしれません。
比較認知科学は「チンパンジーなど他の動物を知ることによってヒトを知る」というアプローチの学問だそうです。
たとえば、チンパンジーに言葉・文字を覚えさせ、その使われ方を研究することで、人間の言葉・文字の由来を知ろうとするようなものです。

ご存知でしょうが、チンパンジーのDNAは約98%がヒトと同じです。
このDNAの差は "ウマとシマウマのDNAの違い" くらいのものだといいます。
松沢さんは「もしホモ・エレクトゥスが生きていたら彼らを研究対象にしていただろうけど、絶滅していたのでヒトに一番近いチンパンジーに注目した」と書いています。

今回その本の中から紹介するのは「チンパンジーが他者をあざむくこと」についての実験です。
その後、人間の心の理論についての僕の知見をあわせて書いていきます。

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【チンパンジーの観察結果】
(
いつも4匹で行動している仲良しチンパンジーグループを対象にした実験)

まず飼育員が広い運動場の1箇所に餌を隠します。
この間、チンパンジーたちは別の部屋に入れられていますが、4匹のうち1匹だけは外にいて、餌を隠すところを見ることができます。

餌を隠し終わったあと、いちど4匹を部屋に集めて時間を置いてから、一斉に運動場に放します。
そうすると当然、餌の場所を知っているチンパンジーだけが隠し場所に直行し、餌を独り占めします。
他のチンパンジーは餌が隠されているということすら知らないので、ぽかんと見ているだけだったといいます。

しかしその実験を何日か続けるうちに、餌の隠し場所に向かおうとするチンパンジーを、他のチンパンジーが追いかけるようになります。
彼らはおそらく動き出した1匹を見て「あいつが餌の場所を知っているはずだ!あいつの向かう先に餌が隠してあるはずだ!」と判断したのでしょう。
追いかけられたチンパンジーは餌を取っても落ち着いて食べることができず、後からきたチンパンジーに奪い取られてしまうこともあったそうです。

ちなみに、この実験で選ばれる1匹は毎回変わります。
4匹のうちの誰かがほぼランダムで "その日の隠し場所" を知っているということになります。

更にその後も実験を続けると、10日目くらいに興味深いことが起こります。

1: 餌の場所を知っていたチンパンジーAは、隠し場所に向かわず、入り口でうろうろしていた
2: 場所を知らない別のチンパンジーが、当てずっぽうで餌を探しに動き始めた
3: その他のチンパンジーは、最初に動き始めたチンパンジーを追いかけていった
4: 餌の場所を知っていたAは、みんなが離れたあとにゆっくりと遠回りをして隠し場所にいき、餌を独り占めした

この場合、隠し場所を知っているチンパンジーAが他のチンパンジーを "あざむいた" ように見えます。
普通に隠し場所に向かったら、追いかけられて餌を奪われてしまうかもしれないので、「自分は知らないよ」というふりをして機会を伺い、別のチンパンジーをみんなが勘違いして追いかけたあとで、ゆっくりと餌の場所に向かう、という作戦に見えます。

もし本当にこのような作戦だったのだとしたら、
「自分が "隠し場所を知っている" ということを他のチンパンジーは知らない」
「動き出せば "自分が隠し場所を知っている" ということがバレてしまう」
といった他者の考えを理解・推察する能力がチンパンジーにもあることになります。

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【心の理論との関係】
ここから先は本の内容ではなく僕個人の考えになりますが、
人間でいう心の理論という能力が、もしかしたらチンパンジーにも備わっているんじゃないかと思っています。
心の理論は発達心理学の用語で、相手の心・思考の状態を推し量る能力のことです。
このような簡単なテストで測ることができます。

日本心理学会 心理学ミュージアム http://psychmuseum.jp/

このテストを人間の児童にすると、
3歳児は 「箱の中を探す」 と答える割合が多く、
5歳児頃になると 「カゴの中を探す」 と答えることができるようになるそうです。

つまり人間は3歳児くらいでは「アン (自分) の視点でわかること」と「サリーの視点でわかること」の区別をつけることができないようです。
しかし5歳児くらいになると心の理論を身につけ、サリーの視点を想像することができるようになるわけです。

先ほどのチンパンジーの実験の結果は、問題に解答するためのコミュニケーションさえとれれば、チンパンジーでも「サリーはカゴにビー玉があると思っている」と答えられる可能性を示唆しています。

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じゃあ人間とチンパンジーにできて他の動物ではなかなか観察できないこの「心の理論」という能力はどういった仕組みのものなのか、ということについて、素人考えですが僕の認識を書いていきます。

まずこの「心の理論」という問題は、
(1) 相手が自分と同じ身体を持っていること
(2) 相手が自分と同じ脳の働き方をしていること
(3) 自分の脳の働きにおける原因と結果をメタ認知できていること
という前提があって初めて成立するものだと思っています。

たとえば、
1: もしサリーが透視できる目を持っていたら
2: もしサリーが 「片づけたビー玉は、同じ場所にあるはずだ」 という思考回路を持っていなかったら
こういったことがあり得れば、そもそもサリーの行動は予測できず、問題自体が成立しなくなってしまいます。

 3: については「私の脳は、ある物をしまったとき、それが動かされたという事実を知らなければ、元の場所にあると考える」という自身の脳内のメタ認知のことです。
その自身の脳内処理を普遍的なものと考え、サリーの脳でも同じ処理がなされると考える (2) ことで、心の理論という能力が成立する……というのがいまの僕の考えです。

(2) ~ (3) については、私たちが "当たり前" だと考えていることなので、それがない世界というのを実感するのが難しいと思います。

でもたとえば、生まれたばかりの赤ん坊を考えると、そうした "当たり前" のことすら理解できていない可能性があります。
赤ん坊の世界認識からしたら「視界からいちど消えた物が、その場所にまだ存在していて、再び見つけることができる」ということ自体が、摩訶不思議なことなのかもしれません。

そのような赤ん坊にとって、いちど視界から消えたものは 「この世界から消滅したもの」という認識だとしましょう。
そこから段々と "当たり前" が形成されていくわけですが、それは いないいないばぁ を何度も見るように、消えたものが再び現れる経験を繰り返すことで学ばれていくものなのかもしれません。
そうして「見えなくなった物は、ただ "見えなくなっただけ" で、存在が消え去ったわけではない」ということを、本能的にではなく経験的に受け入れていくものなのかもしれません。

突飛なたとえですが、もし赤ん坊の頃から "入れ物になにかを入れるとそれは消え去る" ということを経験させられ続けた子がいたとして。(たぶん親が意地の悪いマジシャンかなんかだったんでしょうけど)

その子が5歳頃になって心の理論テストを受けたらどうなるか (※)
おそらく自分自身が "カゴに入れたビー玉は消滅する" と考えていることから「サリーも同じように考えるだろう」と推測し、「サリーはビー玉を探さない」といった答え方をするんじゃないだろうかと思っています。

この場合、その子は自分にとって "当たり前" である「入れ物にものが入ったら、そのものが消滅したと考える」という脳内の働きをメタ認知し、その働きをサリーの脳にも当てはめることで、サリーはビー玉を探さないという回答に至った。
つまり (3) の条件はクリアできているけど、(2) の脳の働き方が違うために、適切な回答ができなかったということになるわけです。

(※ ちなみにこれは、その子が5歳頃まで外にも出ず、どんな場合にも100%容器に入れた物が消失する世界で生きていたとしたら、という非現実的な仮定の妄想なので。あくまで僕の考え方をわかりやすく伝えるための思考実験です)

こんな風に僕は、心の理論というものを「自分の身体内・脳内で起こった処理過程を、そのまま鏡のように他人の身体・脳内にも当てはめる能力」がベースになっているものだと考えています。

最後に、こうした 「自身の脳内処理のメタ認知」 と 「それを他者の脳内に当てはめる能力」 というのは、
おそらくミラーニューロンと呼ばれる "真似" するための脳内機能が肝になってるんじゃないかと思っています。
ただそのあたりについては当て推量の仮説なので、今後もっと調べていく必要があると思っています。

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