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『からこといのち通信 №22』4月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/3/30 発行

『からこといのち通信 №22』4月号(人間と演劇研究所 瀬戸嶋 充 ばん)2022/3/30 発行

空也上人像、口から小さな仏さんを吐き出してるやつ。
あの仏、一つ一つが「言霊」なんです。ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブッ(南無阿弥陀仏)と音声が連なって、言葉として口から出てる。
(東京国立博物館 空也上人像 https://kuya-rokuhara.exhibit.jp/)

レッスンで相手に話しかけることが出来たとき、同じことが起きます。
「ちょっと・こっち・向いて・下さい」と呼びかけたとき、口から出た言葉(言霊)が、相手の「からだ」に飛び込んでいくのが見える。

空也上人像の光景です。「ことば」のレッスンが目指すところです。

話しかけ(呼びかけ)のレッスンは、言葉をからだで受け取る。意識(アタマ)に介入の隙を与えない。「からだ」の中から「はい!いま話しかけられました!」と明るさを帯びて返答が浮かんで来ます。

空也さんの「南無阿弥陀仏」をからだで受け取った人は、自らも「南無阿弥陀仏」を唱えつつ、飛んだり跳ねたり踊ったり。有無を言わせぬ高揚が、その場の人々を突き動かしたことでしょう。(空也さんの姿は、チンドン屋さんですね)

「意識(アタマ)に介入の隙を与えない」と書きましたが、他人の言葉を聞くとき、私たちは意識(脳)のフィルターを通して相手の言葉を受け取っています。意味をキャッチし、内容を理解できるように、聞こえてくる生の言葉を加工しています。言葉の文脈を横から眺めて(観て)、何を言わんとしているかを察する(観察)。

このフィルターを取っ払って、「言葉」というモノを生のままでキャッチすると、空也さんの口から吐き出される「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブッ」と同じように、レッスンの中で言葉が見えるのです。(普通、言葉は聞くものだと思いますが、言葉が見えてしまう、共感覚?)

最初に「言霊」と言いましたが、どうも言霊というのは、特別なものでは無くて、人間が言葉を「観察・理解」するための意識のフィルターを外してしまえば、いつでもどこにでも当たり前に見えているモノなのでしょう。(子供たちの言葉の交流)

「言葉」は、脳(自我)と脳(他我)を介して、その意味内容で、人と人とを繋ぐもの。「言霊」は、身体(自身)と身体(他身)の境界や壁を無化して、自他或いは、皆が立ち会うその「場」に、姿を現すもののようです。ひらがなで「ことば」と書くときは、後者(言霊)を言い表そうとしています。

言霊って神秘性はゼロなのですが、現代はオモテ(意識によって観察可能な事物)を見ることに慣れ過ぎて、ウラ(意識に懸らぬ事物)を見るのを忘れているのでしょう。こんな風に考える人は稀少になってしまっているかも知れません。

意識(脳)というのは、自らの正しさ(思い込み・決めつけ)を主張するのが得意です。そのために私たちは正しさのフィルターに阻まれて、物事の在りのままを見ることが難しくなっているのです。レッスンでは、そんなフィルターを外して「からだ」「こえ」「ことば」「いのち」のありのままを、見直しています。だから私は、常識的答えの出ない世界を流離っているのでしょう。厳しいけど楽しいものです。

瀬戸嶋 ばん

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【1】 レッスン生活40周年記念(その6)
【2】 あまねとばんの交換日記
【3】 レッスンのご案内
【4】 あとがき
【5】 バックナンバー( ばん|note ) 

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【1】 瀬戸嶋レッスン40周年記念(その6)

私が一貫して求めてきたのは、「ことば」の成り立ちです。

「言霊」のことを冒頭に記しましたが、この意味での「ことば」との出会いを求めて、私は40年歩みつづけてきたのです。(一筋縄ではいきませんでしたが(笑)今もです。)

朗読劇の冒頭、例えば「そこらがまだまるっきり、丈高い草や黒い林のままだったとき、」と語り部(ナレーション担当)が読み始めると、レッスン場の時空間に、北上の山の光景が見えてくる、やってくる。手つかずの野山を開墾する嘉十(主人公)の世界へと、空間が姿をかえます。(『鹿踊りのはじまり』https://youtu.be/-rm3YAVdIoQ より)

ふつう本を読んだ時、文章に書かれた光景は、頭の中や心の中に浮かんでくる個人的なものだと思うのですが、レッスンでは、物語に描かれた光景の中へと、語り部と演者、観客ともどもに入っていきます。たとえ小さなレッスン場でも、そこに集った全員で劇場(空間)という乗り物にのりこみ、日常の世界を離れて物語の世界を旅するのです。

その場に集う一人一人が、みんな幻燈器になってしまったように、物語(賢治童話)の「ことば」(言霊)を「からだ」の深みに受けて、物語世界をその場の空間や他者へと、互いに投影し合うのです。劇場(昔は囲炉裏端でもあった)の時空間は4次元スクリーンですね。日常的な空間や時間の制約を超えて、いわば集団でワープ、異次元世界を旅する。

その成り立ちのためには、意識(脳)を介した言葉のやり取りには、お引き取りを願う。頭脳を休め意識の強張りを緩め、皆が胸襟を開いて「からだ」で「ことば」を受けられるようになるためにレッスンが必要になります。

先ずは「からだ」の表層を覆う緊張(意識)の鎧を外し、誰もが本来持っている心身の緩やかさや柔軟さに焦点をあてる。「からだ」に打ち込まれた楔(常識)を外し「からだ」の内的自由と、息遣いの深い変化に気づき、それをもとに「こえ」や「ことば」の成り立ちへと歩んでいく。

「からだ」の「から」は空っぽの「から」です。身体には、骨やら内臓やら神経やら脂肪やら、なにやらいろいろギッシリ詰まっているのを知っている。だから「から」である訳がないと、考えてしまうかも知れません。そういう解剖学や身体科学の知識はさておき、頭(意識主体)で身体地図を見下ろすことを止めてみる。「からだ」の内的感覚の方に注意(意識)を下ろしていく。意識の居場所を頭から「からだ」へと移すのです。「意識=私」という関係から「身体=私=他者=世界」へとシフトをしていく。

そこに感覚的に発見されてくるのが、空っぽの「からだ」です。空っぽであるからこそ、出入りの自由が確保されている。世界の出来事が飛び込んできたり、内的な世界が飛び出して行ったり、生まれたり去ったり。休みなく無限に変転し続けているのが「からだ」です。知識(意識)はその断片を取り上げて、世界を固定したものと見る。だから「死」は、何も描かれていない断片=虚無であると見てしまう。

朗読劇の世界は「空っぽ」から生まれ「空っぽ」へと還っていくのです。「からだ」の「だ」は「経つ・立つ」の「た」と読むのが良いでしょう。空っぽの身体が互いに向かい合って「立つ」とき、そこに「からだ」の共鳴(共振)、或いは響き合いや、内的な流れ合い(経つ)が生まれてきます。楽器は中空(中身が空っぽ)です。「からだ」も中空の楽器と一緒です。物語のコーラスを奏でるのです。

宮沢賢治の物語(童話)の言葉、その文章はコーラスの五線譜のようなもの。その言葉を皆で語れば、私たちの「からだ」が交響し、物語世界を出現させるのです。

レッスンでは、「からだ」(空っぽの身体)を準備するために、多くの時間を割きます。玉石混交と言いますが、幸せに生きるために大切な「もの」や「こと」を、大事に吟味することなく、何でもかんでも自分の中に詰め込んでしまう。必要とする「物・事」は一人一人が異なるはずなのに、モノや知識に埋もれてしまい、玉と石を区分けすることが出来ないでいる。一人一人が、空っぽのはんたいのぎゅう詰めになってしまっているのです。そのため自分の中の宝が見えなくなっている。宝とは何かといえば「から」のことなのですが(笑)

自分=「からだ」を虎のイメージに明け渡し「虎になる」レッスン。自分本来の「こえ」を足から頭、その「からだ」全体に響かせるレッスン。内的な「いき」の弾みを「ことば」にして相手に届けるレッスン。ともかく「から」を妨げる人工的な体裁をはぎ取っていくのが「からだとことばといのちのレッスン」の主眼となっていきます。「から」は、あのユングのいうところの「集合的無意識」への通路ですから。私たちは賢治童話を語ることで、集合的無意識(普遍的無意識)に井戸を掘り、そこから湧き上がってくるイメージの力によって、物語に出会い、物語を生きるのです。

こんなに楽しいことはありません!

瀬戸嶋 充 ばん

(この文章、レッスンを体験してくれた人には、なにを書いているかが朧ながらも伝わると思うのですが。未経験の人には分かりづらいと思います。もう少し分かりたいと思う人は、ぜひレッスンを体験してみて下さいね。そもそもレッスンとは説明して、或いは勉強した知識でわかるものではないです。体験してみて初めて分かるんです。そういう分かり方ってあるんです。解説や説明で分かることがあるだろうと、私自身も期待していたのですが、それは無理なこと。つまらない嘘をつくことだと腹が決まるまでに、40年かかってしまいました。)

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【2】あまねとばんの交換日記

あまねさんは、美大出身で油絵専攻、インタビューをライフワークとして、現在は子育てに奮闘中。
( あまねさんの最近の記事は「あそどっぐ インタビュー」 https://note.com/kobagazin/m/m52dc197ffbaf

※交換日記、今月はお休みします。日記の往復は続いています。いまは少々個人的な話題に踏み入っていて、掲載が可能な記事に移るまでお時間下さい。

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【3】 レッスンのご案内

● 初夏の伊豆川奈合宿開催 
2022年5月27日(金)~29日(日)
ホームページhttps://ningen-engeki.jimdo.com/ へのご案内を準備中です。詳細は少々お待ちください。
『土神ときつね』前回朗読劇を YouTube https://youtu.be/IB1K3s9XLqQでご覧になれます。

● 神戸ゆらゆらワークの会主催WS
『「からだ」から始まるコミュニケーション入門』
2022年6月4日(土)~5日(日) 神戸市東灘区会場にて開催します。

● 琵琶湖和邇浜夏の合宿開催
2022年7月16日(土)~18日(月)
ホームページhttps://ningen-engeki.jimdo.com/ へのご案内を準備中です。詳細は少々お待ちください。
『鹿踊りのはじまり前回朗読劇を YouTube https://youtu.be/-rm3YAVdIoQでご覧になれます。

● ワークショップ・合宿などのイベントのご案内は Facebookページ https://www.facebook.com/SensibilityMovement に「いいね!」して頂ければ、詳細が出来次第、FB通知でご案内します。

● オンライン・レッスン『野口体操を楽しむ』のご案内は、
https://ningen-engeki.jimdo.com/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%95%99%E5%AE%A4/

● オンライン・プライベート・セッション開始
http://karadazerohonpo.blog11.fc2.com/blog-entry-370.html

●「出会いのレッスン☆ラジオ」https://www.youtube.com/playlist?list=PLnDMDlLE0m1LaDrvijAQA8RwzaiNAAdpZ
番組表は、https://ningen-engeki.jimdo.com/

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【4】 あとがき

先週の川奈合宿は賢治童話『土神ときつね』をテキスト(題材)にしてレッスンを進めました。
50分ほどの物語の内容を立ち上げながら、繰り返し読み進めて行くと、「土神」の悲しみが、その場を浸して行きました。土神は、近代化の中で押しやられ切り捨てられ、忘れ去られていった者たちの代表でしょう。
古来、人間と人間、または人間と自然は、大地に根差した生活の営みを媒介として一つに繋がっていた。「からだ」と「自然」は別々ではない、ひとつながりだったのです。
そこに近代知が入ってきて、「自然」と「からだ」を分断させてしまった。「自然」をコンクリートやアスファルトで埋め尽くし管理し、「からだ」を意識(近代自我)の支配で個々バラバラに囲い込んでしまった。
その分断の痛みが、科学や技術の創出によって癒されるという期待は、分断を「生きる」ことに伴う痛みや悲しみから人間を救いだすことは出来なかった。科学知識は「きつね」の救いにはならなかった。むしろ空虚を広げるばかり。
それが物語の最後、世界中に響き渡る「土神」の発する大きな悲しみの慟哭と涙によって、樺の木、きつね、土神の3者は、森や山や谷地も含め、分断を離れて一つのいのちの響き合いであることを、取り戻すことが出来たのではないだろうか。
合宿のふり返り会をZOOMでやった。みんなさわやかな笑顔を見せてくれた。土神の悲しみの涙によって、私たちの抱えていた苦しみも洗い流されたようだ。土神も、その姿(存在)をみんなの中に開示することが出来て嬉しかったことだろうと思う(笑)

お陰様で今月も無事に通信を書きあげることが出来ました。
ありがとうございました。


ばん(瀬戸嶋 充)

(『土神ときつね』https://youtu.be/IB1K3s9XLqQ より)

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【5】 note バックナンバー

当通信のバックナンバーをご覧になりたい方は、ばん/note
https://note.com/kara_koto_inochi/m/mdc4d18c059db
をご覧ください。

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● 私、瀬戸嶋 並びに 人間と演劇研究所『からだとことばといのちのレッスン教室』の 活動と情報は、ホームページで告知しています。
レッスンへ参加頂く際は、ホームページをご確認ください。
https://ningen-engeki.jimdo.com/

● 問合せ・申し込みは、メール karadazerohonpo@gmail.com 又は 電話 090-9019-7547 へご連絡ください。

     人間と演劇研究所代表 瀬戸嶋 充 ばん     

『からこといのち通信 №22』4月号 2022/3/30発行

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