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アベプラの動物園の討論番組を見ての感想と、学ぶことと娯楽との付き合い方について考える

朝日新聞でのアンケートをもとにしてネットの放送局であるAbemaTVで、動物園のあり方についての討論が行われていた。まず、アンケートについてが、これである。

これに寄せられた意見をもとに、系列でもあるAbemaTVで番組を制作して配信していて、それが今回の感想のテーマだ。動物園について賛成の立場の人と反対の立場の人がそれぞれ話し合うというような内容で、期間限定で見返すことができるとはいえずっとアーカイブが残るわけではないので、ここにはYouTubeの公式チャンネルで上げられているものについては載せておくことにする。


この中で反対派の人は、動物園という存在は見せ物として存在しており、保護を訴えるのであればそもそも多くの人に見せる必要がないというようなことで論理を展開していた。けれど、僕は、実際にさまざまな来園者と話をすることが多い中で、それは違うのではないかと思えて仕方がないのだ。

知らないことを知るということ

あくまで僕の意見ではあるが、そもそも多くの人人は、さまざまな生きもののことを知っているわけではない。先日、神奈川県川崎市にある夢見ヶ崎動物公園に訪れた際、キツネザルのことを「モンキー」と言っている日本人の親子連れもいたし(英語でサルのことを表すのは種類によって違うのだが、ここでは割愛する)、生きものに餌を与えてはいけないのにそこら辺の葉っぱとかをヤギやプレーリードッグに与えてしまう人もいた。木の葉も食べることもあるヤギならともかく、ジリスであるプレーリードッグに樹木の葉っぱを与えるのは、彼らの暮らし方からして違うものではある。プレーリードッグが暮らすのは草原なので、木の葉よりも草葉を与える方がまだ自然に近いし、どちらかというと細い葉っぱ(双子葉植物ではなく単子葉植物の葉)を食べることが多い。けれど、それを知らずに、そもそも動物園で飼育している生きものに勝手にそこら辺の草葉を与えるのも問題ではあるが、葉っぱなら何でも食べると思い込んで与えてしまう人が少なからずいるのだ。

多くの人にとっての生きものの知識は、メジャーな生きものであるイヌやネコなどの家畜種や、ゾウなどの目立つ生きものではあると思う。それらに対する価値観がどこから生まれてきたのかということを考えるのも面白いとは思うけれど、それは今回と違うことなのでここでは語らない。とはいえ、偏りに関しては、認識することもできないし、知らない世界のことを認識するのは難しいことなのである。

けれど、それはただ単に動物園にいくことで知ることができるようになるとは限らないのである。さまざまなことを知っているガイドが存在していて、それで話を聞いて、実際に感じて、それでようやく色々なことを学ぶことができるのだ。展示だけじゃわからないこともあるし、図鑑だけじゃわからないこともある。だからこそ、僕は動物園におけるガイドの重要性というのを考えているし、それを大事にしていきたいからこそ、来園者に話しかけるということをしてしまう。

そしてであるが、生きもののことを知らなければ、保護につなげることは不可能だと考えている。インターネットは能動的に調べることには向いているけれど、全く興味のないことをおすすめしてくれるわけじゃない。自分の興味のあることを調べるのには向いているけれど、知らないことをインターネットから教えてくれるわけじゃない。「この生きものはどういう生きものなのかな?」という疑問を、好奇心を、そしてそれに応えられるような存在がいることを、僕は動物園や水族館に求めているのではないかと思っているのだ。

「なぜ・なに」と思うことを大切にして、それを踏まえて面白さを再発見するということが、僕の考える博物館としての動物園や水族館ではないかと思う。だからこそ、ただ生きものを飼育して見せるのではなく、魅せる必要があるとは思う。

知るという楽しみ方も娯楽になるのか

僕がなぜ動物園や水族館に行くのか。それは、「知ることが楽しい」からだ。さまざまな場所に行くことで、どのような存在がいるのか、どのように人々の気を惹きつけるものがあるのか、どのように人々が楽しんでいるのか、さまざまなことを肌で感じられる。ただ生きものを見るだけじゃなくて、生きものを見る人を見ることや、生きものがいる場所を見ること、そしてどのようにして生きものたちの魅力を引き出せばいいのかなどを考える上で僕は動物園や水族館を重要視しているのだ。

一切の娯楽を排除するというのなら、そもそもであるが僕たちはなぜ自然保護区に観光に行くことがあるのだろうか。生きものがいることが面白いからだろうか。それとも、生きものを見せることで観光資源になるからだろうか。そう考えてくると、旅行というのも娯楽ではあるし、保護区へ行くのも娯楽にはなる。そこで楽しむことが悪いことだとするのなら、なぜ悪いことなのかを考える必要が出てくる。けれど、生きる姿に感動したり、どのように暮らしているのかを知ることで刺激を受けたり、それらもある種の娯楽ではないだろうか。思い出に残るような素敵な光景や、人生に彩りを与えるような出来事も、楽しいと思えるような環境もあるからこそ、旅行という娯楽を楽しむ場所として、自然学習を行う場所として、保護区に旅行するということもあるのではないだろうか。

だからこそ、娯楽要素を排除するというのは、「楽しいと思う気持ち」を排除するということになるので、主観としての楽しさを排除するということは不可能だからこそ、できないのではないかと僕は思っている。

勉強が好きな人の場合、知ることが楽しいと思う人がいるということもある。僕は動物園や水族館は知ることのできる場であると思っているから、知ることで楽しみを感じるから、それだけでも十分楽しいのだ。色々と考えて、工夫して、どうすればいいのかを考えていくからこそ、知ることは楽しくなってくる。ただ受動的に、そして自分の興味のある分野だけを能動的に知るだけでは掴めないこともあるからこそ、多様な存在に触れて考えることができるという意味で、楽しい場所でもある。

知る楽しみを提供して、知ることのテーマパークとし存在しているのならば、エデュケーションとバケーションの両立というのも可能だと思っている。それが、動物園の役割としてのレクリエーションということにつながるのではないだろうか。

無くても困らないし、矛盾だらけの場所だからこそ

僕が今回の討論で感じたのは、極端なことに極端なことをぶつけるようなことが多く、それで話がまとまらないようなことが多かったということだ。そして、動物園に賛成している立場の方が主張していることが基本的に博物館の一種としての動物園という感じだったのも、それだけではないような感じもしてくるのだ。

博物館としての動物園であるのならば、展示している存在の管理も大切ではあるけれど、それと同時に、どのような存在なのか、どういうことが大切なのかといったことをきちんと解説する役割の人や、展示している存在に触れてはいけないような場合に守るような人がいる必要があるなど、ただ単に飼育しているだけではいけない部分も出てくるのではないだろうか。けれど、昨今の状況でガイドツアーが中止になっている状態も多いとはいえど、それらを充実させていくことや、常の施設のどこかで何かしらのイベントを行うことで知的好奇心を刺激するようなことが重要なのではないだろうか。

動物園や水族館は、本来なら人がペットにするのには向いていない生きものを飼育するというようなことや、環境保護のためにある種の犠牲や負担を強いているために矛盾しているともいえる施設ではあるし、生きるためには最悪無くても困らないような場所でもある。だからこそ、常に存在意義については考えていくことが求められるし、どのようにしていくのが大切なのかということも考えていく必要があるのではないかと思う。

確かに飼育環境が良いとは言えない施設もあるけれど、来園者がそもそも知ろうともしないような場合もあるけれど、それでも、少しであっても考えるキッカケになり得たり、知ることを楽しむことの面白さを伝えていくことができるような施設であるのなら、それが動物園や水族館の存在意義にもなり得るのではないかと思えるのだ。

「学ぶことの楽しさ」を伝えるために

多くの人が抱いている思いとして、勉強は面倒臭かったり苦痛だったりするというようなイメージを持っている場合が多い。そして、勉強が楽しいというような人は割と変わり者扱いされることもあるし、教え方というのは割と無視されやすいこともある。けれど、僕はそういうことを少しでも変えていく必要があると思っている。

僕が反対派の人の意見にあまり共感できなかったのが、この人の勉強や学習の感覚が僕とは違うことが挙げられる。開かれているからこそ学ぶ機会があるのだし、楽しいと思うからこそ学ぶこともある。娯楽性を排除するということがどういうことなのか、それを発言しているのに理解していないように感じてしまい、どうしても共感できなかったのだ。

以前、里山で田植えをするイベントで子どもたちが生きものに触れて楽しむ光景を見ていたことがある。触れて遊びながら、楽しみながら、自然のあり方や生きものの知識を学びつつ、それで成長していく光景を見たからこそ、僕は学ぶことの面白さや楽しさを追求することが重要なのではないかと思うのだ

僕はかつて勉強中に胃を荒らして血を吐いてしまうほどのストレスを感じたことがあるし、だからこそ、学ぶことの面白さや楽しさを追求することの重要性を考えるようになった。ただ単に勉強するだけでは身に付かないような発想や考え方、知ることを楽しむ余裕など、僕は学び方を考えることで勉強以外の面でも考えるようになってきたのだ。

知ることがこんなにも楽しいことなのか、という驚きを感じてほしいし、役に立つかどうかだけではない勉強や学習を感じてほしい。そういった場としての動物園や水族館になっていけばいいと思っているからこそ、博物館としての重要性を感じてはいるのだ。

驚き(wonder)を感じるようなことができるからこそ学ぶこともできるし、感じるセンスを研ぎ澄ますことができる場所として、感受性を高めていく場所としての重要性を伝えていくのが、動物園や水族館のあり方として重要であると、僕は思っている。

否定するのは簡単だけれど、あり方を考えて大切だとしていきたいからこそ、僕は楽しさを大切にすることが大切だと思っている。

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