とあるカルト宗教に勧誘された過去についての話

 10年くらい前のことだが、とあるカルト宗教に勧誘されて、その宗教の施設に入ったことがある。それからも、何回か似たような勧誘をされたこともあり、「狙いやすい存在である可能性」もあると考られるので、注意喚起の意味もこめて、経験についてまとめていく。

この記事で取り上げるカルト宗教の種類について

 一口にカルト宗教と言っても、宗教の種類によって毛色はかなり違う。仏教系のカルトとキリスト教系のカルトとでは、勧誘の方法などが異なる可能性がある。今回は仏教系で日蓮宗のカルト宗教と思われるところについて述べる。

 日蓮宗のカルト宗教団体といえば顕正会が有名だが、自分の場合はその顕正会だけでなく、違う種類の日蓮宗のカルト宗教団体と思われるところの人からも話しかけられたことがある。そういうこともあり、この記事で書くカルト宗教団体の手口が全て顕正会のやり方というわけではなく、様々なところのでやり方が混じっていると認識してほしい。

カルト宗教の施設に入った時のことについて

 まずは、10年ほど前、高校生の頃に顕正会の人から勧誘された時の話について書いていきたい。

 当時、精神的に相当参っていたこともあり、勧誘に乗ってしまった。その時のことを思い出しながら書くので、正確な情報ではないかもしれない。とはいえ、現在でも見かけることが多いので、きちんと場所についても明かしていきたい。
 まず、高校生の頃に顕正会の人に話しかけられたのは、横浜駅付近にあるヨドバシカメラのゲームなどが販売されているフロアである。ちなみにだが、カルト宗教の勧誘では違うところで話かけられたこともあり、横浜駅付近だとビブレの中にあるブックオフなど、いわゆる「オタク向け」とされているコンテンツのものが置かれている場所で話かけられることが多い。恐らくであるが、そういったところにくる人を狙って勧誘してくる可能性がある。

 2人組の人に話しかけられて、ゲームの話で親しみやすさを出した後、立ち話も難だからと横浜駅付近のマクドナルドに入り、飲み物を奢ってもらい、話をすることになった(蛇足だが、せっかく奢られたのだからとMサイズの飲み物を注文した。勧誘してきた人は100円のコーヒーだったので、値段はこちらの方が高かった)。

 その後、確か藤沢駅付近にある顕正会の宗教施設に行くことになり、道中の電車の中で顕正会の主張について書かれた読み物を渡された。うろ覚えであるので端折っておくが、「地球温暖化は太陽活動が活発になっているから」「〇〇(なんだったかは覚えていない)という太陽の化身が怒っているから温暖化になっている」「二酸化炭素による温暖化は陰謀だ」というような感じの内容が書かれていた。また、慰安婦問題などの国際問題に関しても、独自の宗教的観点から理屈を立てており、特に韓国関連に関しては「反韓」を明確に打ち出しているような感じであった。

 顕正会の宗教施設の中に入ると、悪くいえば葬式の斎場みたいな内装の中、その施設で偉い立場と思われる壮年の女性が中心となって念仏を唱えるということをやっていた。いくら精神的に不安定ではあったとはいえ、自分の中では「念仏唱えるのすごく面倒臭い」と思っていたので、敢えて念仏の音程を外してみるなど、心に余裕を持たないと飲まれると思った。
 「押しかけたり、教えに関するものを送ったりはしない」とは言われたものの、住所の情報を迫られてしまい、そして書いてしまったのは今でも失敗だと思っている。適当な住所を書くにしても、事前に決めておかなければ難しい。

 座らされた位置の両隣に信者がいることもあり、その場から逃げ出すには押さえつけられるリスクもあることから難しかった。仮に逃げ出そうとしても、掴まれて止められていたかもしれない。つまり、カルト宗教の施設の中に入った時点で詰みとなる
 もし、敢えて施設の中に入りこんで内側から信者の人をぶっ叩いてでも破壊してやると思っているのなら、絶対に辞めたほうがいい。その場所に何があるのか、分からない。逃げ道を確保できていない状態で敵陣に切り込むのは、命知らずの行為だ。どこに何があるのか分からない施設の中に安全を確保できるような場所はないかもしれない。どこかに武器となるものを隠していて、それでやられる可能性もゼロではない。別のとあるカルトではムチを使うこともあるからこそ、何があるか分からない状態で脱出することも難しいと考えた方がいいのだ。

 その後は普通に帰ることはできたけれど、その後も何度も勧誘してきた人が電話をしてきて「お経唱えている?」と聞いてきてしつこかった。
 そういうこともあり、その電話番号は着信拒否している。

さらに何回か、カルト宗教に勧誘された時のこと

 それから何年か経ったけれど、再び同じように勧誘を受けてしまった。今度こそは大丈夫、相手を論破してやると意気込んでしまったが、実はそれこそが危険だった

 今度は新横浜駅でカルト宗教の勧誘を受けた人と話をした。話をしてなんとかできると思っていた。けれど、全く通用しなかった。
 それもそうだ。カルト宗教の人と自分とでは、積み上げてきたものが違う。信じるものがあるからこその強さとも言えるだろう、全く歯が立たなかった。
 「それは実証されていないのでは」と聞いても、「それなら一緒に(施設に)来て念仏唱えればいいじゃないか」と言ってくる。要するに、議論の中で中心となる話題を逸らし、Twitterとかでの論破をされないような詭弁的なやり方で誘い込もうとするのだ。感情的になり、イライラもあって罵詈雑言をぶつけるような形でなんとかその場を脱出できたが、苦い思い出として今も心の中に残っている。はっきりと言う。議論などの話し合いは相手の土俵で勝負することになるので、やってはいけない

 さらにもう一度、勧誘されたことがあった。今度横浜駅前で、スマホの動画を半ば強引な形で見せられそうになった。「カモられる」という苛立ちから、相手を殴ってでも逃げ出そうとしたけれど、そういうそぶりを見せたら「殴るなら警察呼ぶよ」と言われて、拳を収めるしかできなかった。もしも今度同じような勧誘にあったら、相手のスマホを奪って叩きつけたい。それくらい、思い出すだけでも苛立ちを隠せないことだった。

 そして4回目、今度は横浜ビブレの中にあるブックオフで勧誘されそうになった。「ねえ、マンガに興味あるの?」と男性に話しかけられたが、今までの経験から「カルト宗教の勧誘だ」と思い、その場から逃げ出した。今思えば、大きな声を出して「カルト宗教の人に勧誘されています!助けて下さい!」とでも言っていた方が良かったのかもしれない。

 5回目もある。今度は顕正会とは別の組織であるのだが、横浜駅付近で何か紙を配っていた。「こういうこと絶対嫌なのでやめてください」と言っても無駄だった。そして軽く話を聞くと顕正会とは別の組織ではあるけれど、日蓮宗の団体ではあるようだった。
 生きものの話題を投げてみて、それで「仏教的な意味合いで」生きものを守るのもありますよ、とは言われたけれど動物園学や生態学などの観点からの知識とは違うからこそ、話が通用しないと思ってその場から立ち去った。

 これらの経験から、恐らくそういったカルト宗教の勧誘というのは、狙いやすい対象というのがあるのだと思われる。

経験から考える、カルト宗教に勧誘されやすい人

 今思えば、1人でいるという状態だからこそ狙われやすかったのかもしれない。そして、あまり話がするのが得意ではなかったのもある。そういったことから、どういう状態で狙われやすいのかを考えてまとめてみる。

  1. 1人でいる、孤立している人

  2. あまりコミュニケーションが得意でない人

  3. 精神的に不安定で、心の隙間がある人

  4. 周囲に助けを求めるようなことができない状況にいる人

 オタク系のショップで勧誘されることが多いというのをよく聞くけれど、これは恐らくそういった性質を複合的に持つ人が訪れやすいということがあるのかもしれない。
 そして、精神的に不安定な状態だと、救いを求めてしまいがちだ。誰かに話をして苦しみを和らげたい、辛いことをなんとかしたい、そういう時にこそ救いの手を差し伸べる形で勧誘されると逃げ出すのは難しい。
 救いを求めるという状況だからこそ、そこにつけこまれやすい。カルト宗教にのめり込むというのは、決してその人が弱いからではない。周囲から隔絶され、辛いことを抱え込んでしまい、弱ってしまった人が狙われやすいというのだ。
 もちろんそうではない人も勧誘されて逃げ出せなくなることもある。それもカルト宗教の危険たる所以であるだろう。

 辛い時こそ他者の優しさが沁みる。でもその優しさが必ずしも善意によるものとは限らない。いや、もしかしたらカルト宗教の人は善意と思ってやっているのだろう。助けたいという思いを悪用されてしまっている。それこそ、どういう人なのかという他者との距離感をきちんと把握しておかなければ難しいことなのかもしれない。

カルト宗教から大切な人を守るためには

 家族などの大切な人がカルト宗教に取り込まれた場合、どうやって助ければいいのか。
 難しいことであるが「否定せず、肯定せず」というのが重要かもしれない。たまたま自分の場合は色々な視点で物事を捉えるようにしているからこそなんとか逃げ出すことができた。正義感は時に人を傷付けるということをずっと意識し、彼らなりの正しさという感覚があるとは思ってはいる。けれど、その正しさは多くの人によっては当てはまらない。むしろ、その正しさを信奉するあまり観測できる事象を減らしてしまっている。視えているようで、見えていないのだ。

 取り込まれた時、その人は孤立から解放されようとしている。だからこそ、カルト宗教とは全く違うつながりが必要かもしれない。孤立してしまえば、それこそカルト宗教の手駒になってしまう。話し合いで解決できるとは思えないからこそ、孤立させないようにすることが重要なのだ。

 他者と関わる時、どれくらいの距離感で関わると良いのか、実はそれを誰かから教えてもらうことは少ない。どこまで他者が来てもいいのか、どう触れられるのがいいのか、そういうことをきちんと学ぶ機会は少ない。

 小児期における性的な問題にしても、「どういう距離感がおかしいのか」という議論はなかなかされにくい。でも、カルト宗教から身を守るには、その他者との距離感をきちんと学ぶことも重要なのだ。

 どういう場所で、どういうことを、どういう人から話しかけられたらどうするのか。基本的にカルト宗教の勧誘というのは、人と接する距離感がおかしい。こちらのことをお構いなしに、自分の正義で動いているからこそ、他者が見えなくなっているのかもしれない。
 親しき仲にも礼儀ありとはいうけれど、どういう距離感で迫ってくるかどうかで危険を察知する必要がある。

 もしかしたら、身近なところにカルト宗教の勧誘はあるかもしれない。だからこそ、どうやって距離を取るか、どう距離感を測るか、そういうことが重要となる。横浜駅付近でこんなにも経験したからこそ、身近なところにある勧誘には十分注意する必要がある。

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