志村どうぶつ園の功罪〜仲良くなれるというファンタジーと、「カワイイ」の消費〜

天才!志村どうぶつ園という番組が、最終回を迎えた。実を言うと、この番組はあまり好きじゃない。多頭飼育を行っていた白井家や、過剰なサウンドエフェクトにBGM、どうぶつの赤ちゃんの飼育にイヌやネコの里親、生きものと人間の感動秘話など、今のどうぶつ番組ではフォーマットとなっているようなことが多い。そして、「カワイイ」を重点的に伝えてしまったこと、これこそが志村どうぶつ園が行ってしまった大変なことではないかと思う。

この番組が他のどうぶつ番組にも影響を与え、ある種のフォーマットを作ったといっても過言ではないだろう。けれど、それは、必ずしも良いことばかりとは限らないだろう。過剰なサウンドエフェクトやBGMは生きものたちのことを伝える中で邪魔になりがちになったし、ペットの情報だけというあり方に疑問を抱く人も出てくるなど、どうぶつ番組のステレオタイプは見直されるべき段階になってきているのではないかと思えてくる。

生きものは確かに魅力的だ。しかしながら、その魅力はどう引き出すかによって変わってくる。そしてそれは、決して「カワイイ」だけじゃない。人間を超えるような力や、大きさ、人間には持っていないような能力などの素晴らしさ、類人猿の持つ適応性など、伝えるべきところは「カワイイ」には収まりきらないほどのものである。しかしながら、「カワイイ」にフォーカスしてしまったことで、魅力を引き出すことを放棄してしまったかのように見える。

確かに赤ちゃんの時やカワウソなど、カワイイと思うところはある。けれど、生きものの飼育は「カワイイ」だけじゃ難しい。でも、たくさんの生きものを飼育しているということや、「カワイイ」生きものを魅力的に映すのは、それを奨励しているようにも見えてしまうのではないかと思えて仕方がない。

多頭飼育することについても、あまりにも命をきちんと考えていなかったということや、他人に迷惑をかけていたことなど、それで企画が頓挫してしまったということもあったのであった。

一方で、飼育下のエンリッチメントを端的に表現したような企画もある。アイバ.comという企画では、飼育している生きものたちの魅力を引き出したり、楽しませたりするという事も行われていた。恐らく当時はそれほど当たり前の言葉ではなかった、「エンリッチメント」を引き出すような企画ではあった。とはいえ、安全性などには疑問に思うこともあるが、それでも飼育下の環境を向上しようとしていく思いはあったのではないかと思えてくる。餌を広範囲にばら撒くことでサルの喧嘩を防ぐなど、どのように改良していけば良いのかといったことを示してきたのは、生きものたちをどう見るかということに影響を与えたのではないだろうかと思う。

そして、この番組で1番の問題ともいえるのが、チンパンジーに服を着せて、ヒトと同じような振る舞いを要求しているようなことだ。

なぜ僕たちは、それを面白いと認識してしまうのだろうか。それを考えてみて思ったのが、喜劇を見ているかのような気持ちなのではないか。「おかしな振る舞い」を見て笑っているというか、「人間らしさ」を求めてうまくいかないことを面白く思うという、エンタメとして消化してしまったのがあまりにも問題なのではないだろうか

僕はアニマルショーには肯定も否定もしない。けれど、見下すようにしてしまうのだけはどうしても許せない。シンガポールのナイトサファリでカワウソのショーを見たこともあるからこそ、どう生きものの魅力を引き出すかという手段としてであれば、それで良いとは思ってはいる。けれど、人間らしさをどうぶつたちに押し付けてしまうのだけは、どうしても許容できない。

果たして、僕たち人間は、どうぶつたちとアニメやマンガのように仲良くなれるのだろうか。絆を感じたり、相互に理解しあったり、協力して危機を乗り越えられるのだろうか。それは、僕には分からない。けれど、必ずしもそれが良いことばかりではないという思いを抱いている。

海外の論文だが、チンパンジーをメディアに出演させたことで種の保存に対してネガティブな効果が現れているということが書かれているものだ。

他にも、パンくんの表情を読み取ってそこからどのような感情を抱いているのかといったことを書かれた論文もある。

そもそも、チンパンジーは絶滅危惧種であり、ペットにはできない。それなのに、無理に人間社会に「人間っぽくさせて」溶け込ませようとしているのが一番の問題なのだ。どれだけ人間っぽくさせたとしても、チンパンジーは人間にはなれない。仮に進化したとしても、それは人間とは別物だ。それなのに、人間らしい振る舞いをさせて、人間の中で暮らすことを強要してしまった。その結果、人間にもチンパンジーにも馴染めない、社会性を持つ生きものとして悲しい結末を向かわせてしまうということに繋がりかねない。

人間と仲良くなれるというファンタジーを演出するために、どうぶつたちを犠牲にしてしまうのは、もう終わりにしてほしい。

そして次に問題だったのが、「カワイイ」の大量消費だ。先述した部分とも重なるが、「カワイイ」を求めて貴重な生きものを、「飼育しやすいように見せてしまったこと」が、さまざまな生きものを輸入してしまうという事態を招いたのではないだろうかという疑念がある。

どんな生きものも、簡単に飼育できるというわけではない。命に関わる以上、手を抜いてしまえば生きものたちにとっては大変なことにつながりかねない。可愛いだけじゃ、済まされないのだ。

もう一つあげるとすれば、「生きものたちのことをどう伝えていきたいのか」という根本的な問いに対して、あまりにも軽率に考えていたのではないだろうかということだ。

どのような魅力を、どのように伝えていけば良いのか。ただ単に「カワイイ」だけを伝えてしまって、それ以外のことを無下にしてしまったのではないだろうか。それだけでなく、ヘビを映さないこともあったなど、生きものたちを不平等に扱ったり、カワウソの食事のシーンにモザイク処理を行ったり、本当に生きものの魅力を全て伝えたいのかという姿勢に疑問を抱くこともあった。

生きものの魅力を伝えることは、難しい。けれど、それには「何を伝えたいのか」ということを放棄してはいけない。テーマを絞れば伝えるべきことも分かりやすくなるが、絞り方をきちんと考えないと、伝えたいことが霧散してしまう。ガイドできるような立場を目指す僕としては、なんとも自分にも刺さるようなことでもある。

思考停止のカワイイだけじゃなくて、どういう魅力があるのかを伝えるのはなかなか難しい。けれど、簡単だからといってそこに流れてしまえば、本質からは遠くなる。もう、この番組ではそのような本質が失われたのではないかと思う事も多かったのだ。

番組が変わっても、スタッフの意識が変わらなければ、また同じようなことを繰り返すと思う。リニューアルしたとしても、不満から目を逸らしてしまえば、視聴者ば去っていくだろう。

満足のいくどうぶつ番組が減ってきて、悲しい。少なくとも、失敗した部分は変えていってほしいとは思うが、そんな願いなど無視していくのではないかと思う。

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