昔のどうぶつ番組を辿り、どうぶつ番組について考える〜わくわく動物ランドを見て〜

ふと、疑問がよぎった。

「テレビでどうぶつを人間が吹き替えることをし始めたのはいつ頃からなのだろうか?」

それを調べるため、「どうぶつ番組」に限定して調べていくことにしたのだが、ウーパールーパーやエリマキトカゲブームを引き起こした番組についても調べなければいけないと思い、まずはこの「わくわく動物ランド」という番組を見て考えることにした。

横浜市にある放送ライブラリーでは、昔のTV番組が視聴可能である。誰でも無料で視聴できる施設で、行きやすいこともあり、そこで視聴可能であった1986年4月2日の放送回と、1989年1月25日の放送回についての所見と感想を述べていくことにする。なお、一回の利用で120分しか連続でできない以上、飛ばし飛ばしで確認していたため、間違いがあるかもしれないことはご容赦いただきたい。

この番組は「クイズ番組」だ。関口宏さんが司会者となって、ゲストの芸能人たちに生きものに関するクイズを出していくという内容だ。この番組は1983年から1992年までTBS系列で放送されていたもので、人気放送回においては視聴率も20%を超えるようなこともあった。それだけでなく、取り上げられた生きものたちがブームとなったり、子どもに見せたい番組にも選ばれたりするなど、大きな影響力をもっていた番組だったようだ。

まず、4月2日のスペシャルの回についてから内容を振り返る。最初はサルについて、次は鳥羽水族館でのラッコの飼育員の体験したゲストの話、オオカミウオという魚の卵について、そしてアフリカでのネコ科の特集、オーストラリアでの野生動物保護についての内容と、最後にニホンライチョウについての取材についてという構成であった。スタジオには男女別にそれぞれのゲストがチーム分けされており、今でいえばぴったんこカンカンのようにそれぞれのチームがクイズを正解していくというような感じだ。そしてそれぞれと司会の応援という形で、チンパンジー、オランウータン、ピグミーマーモセットの3種をスタジオに連れてきた。この3人の暮らしている施設であるモンキーセンターの当時の園長である小寺氏もスタジオに登場し、それぞれのサルについての解説を行った。オープニングクイズとして、「これらのサルは野生で同じ地域で暮らしているか否か」ということが問題としてとりあげられた。もちろん正解は「暮らしていない」で、それぞれの生息地を表した地図がスタジオに用意されていた。

そして、とあるゲスト(有名な方だが、今は表舞台から去っているのでSとする)が長野県の地獄谷野猿公苑に訪れて、実際に当時にいた棒を使う個体や温泉に入るようになったきっかけとなった個体などを紹介し、ボスザルといった順位についても簡単に説明が行われていた。小さいサルが管の中に入ってエサを取っても、順位の高いサルがそれを奪うなど、そういった光景をきちんと放送していた。

次のテーマは、ゲストが鳥羽水族館で一日飼育員体験という内容であった。ラッコのポケットに関しても説明されたり、警戒心が強いという説明があったりと、生態にも触れていた。けれど、ゲストの方が声でラッコを呼んだり、立ってしまって注意されたりと、今の番組とあまり変わらないようなこともあった。

そして次も、違うゲストがアフリカでネコ科の観察を行っていたという内容であった。とはいえ、気になったことは、保護区の生きものに対して近づきすぎているということだった。あくまで観光用の保護区なのかもしれないが、それであってもちょっと今の感覚でいえば近づきすぎなのではないかと思うような距離であった。ちなみに、確認できたもう一つの回では、インドゾウということもあり、スタッフたちも十分に距離を取っていた。だから、時間と共に撮影している距離の取り方も変化しているのであろう。そして、夜にも撮影をしていたのであるが、当時では仕方ないことかもしれないが、ライトがちょっと明るすぎなのではないかと思えた。

この中で印象的だったのが、狩りの映像を流した上で、「可哀そうと思うのは人間ならしょうがない」、そして「介入しない」という立場をきちんと守ったことである。その上で、捕食の直接的な描写こそはしなかったが、トムソンガゼルの子どもがチーターに襲われた際にもかなりギリギリまで生きている瞬間を写していた。

次のテーマであるオーストラリアでの取材だが、僕はまるで「世界!ふしぎ発見」や「旅サラダ」における生きものの生息地を訪れているときの感じに似ていると思えた。とはいえ、最初に出てきた生きものの「オーストラリアオットセイ」を間違えて「アザラシ」と言ってしまったのがとても気になった。とはいえ、今では馴染み深い生きものでもあるウォンバットのことを紹介したり、保護活動についても放送したりと、基本的には丁寧な内容であった。

そして最後が、年間密着によるニホンライチョウの撮影についてであった。この中で印象的だったのが、ライチョウの交尾のマウンティングをきちんと写したことだった。今ではほとんど考えられないが、きちんと交尾の様子まで撮影して夜の20:00からの、しかも子どもに見てほしいという番組で放送していたというのに僕が驚きを隠せなかった。

とはいえ、部分部分で気になったこともある。地獄谷野猿公苑での映像では、サルに合わせてふきだしでセリフを合わせていたこともあるし、今ほどではないとはいえ、BGMを多用していたことだ。しかし、生きものの動きに合わせたサウンドエフェクトはなく、ワイプもなかった。これが何よりも新鮮だった。

次いで確認した、1989年の1月25日での放送回については、最初はドッグトレーナーがセントバーナードを連れてきていた。もしかしたら、オープニングトークには生きものをスタジオに連れてくるということが多かったのではないだろうか。それはともかくとして、次に紹介していたのはヤマガラで、どのような生態をしているのか、野生動物たちの映像を公開していた。そして次は、南インドで音をテーマに撮影してきた映像からクイズを出題していた。野生動物たちの映像には、司会者である関口宏がナレーションを付けており、「語りかけるような話し方」でナレーションを付けていた。

けれど、この映像を見ていて、「司会者がどうぶつの行動や状態に対して、アテレコを行う」ということを確認した。少なくとも、1989年にはこういったフォーマットが確立していたのではないかという思いが出てきたのだ。1986年のスペシャルでは確認できなかったのに、今回では確認できたのだ。恐らくであるが、ふきだしでセリフを表現していたことの発展形として、アテレコが存在したのではないだろうかと考えている。とはいえ、同時期に放送されていた、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」や、それ以前に放送されていた番組である「新日鉄アワー 生きものばんざい」などの影響があるのかどうかが分からない以上、ここで変化していったのではないかとするのは早計である。

そして、次はペンギンについてであった。その中で、なかなか興味深いと思える部分があった。リニューアル前の当時のサンシャイン水族館で実験の撮影を行っており、そこにはマゼランペンギンとジェンツーペンギンが同居しているという状態であった。氷を用意して、ペンギンたちはどう反応するのかや、氷の上での移動についてなど、そういったことを実験していた。

今でこそマゼランペンギンなどのペンギンは氷の世界を表現したような展示ではないのだが、まだまだ当時は「ペンギンといえば南極」というイメージが強く残っていた。だからこそ、マゼランペンギンであっても寒いところをイメージしたような場所で展示されていたのではないかと思う。

そんな貴重な当時の考え方にも思いをはせつつ、全体を通して抱いた感想をこれから述べよう。

やっぱり、どうぶつ番組におけるワイプやガヤ、生きものの動きに合わせたサウンドエフェクトっていらなくないか?

しょっぱなから思ったのはこれである。ここまで静かな感覚で見ることができたのは、本当に経験としてかなり少ない。

ワイプはそもそもいつから行われるようになったのか。

これによると90年代に入ってから主流と化したというようなことがあるので、そもそも80年代の番組においてはそれほど使われていなかったということがわかった。

この番組においては、うるさいガヤも、しつこく使われるサウンドエフェクトも、生きものの映像を邪魔するようなワイプも、存在していない。本質として伝えたいことがはっきりとしているからこそ、それを邪魔しないように仕上げている。今の時代の人間が視聴しても面白いと感じうるような内容であり、邪魔なものがない分すっきりとした気持ちで観ることができた。まさに、求めていたものを体現したかのような部分があまりにも多かったのだ

それにしても、なぜ生きものの動きに合わせてエフェクトを用いるというフォーマットが生まれたのであろうか。それについてはまた違う機会に述べるとして、なんでこれを主流にできなかったのかということがとても気になるのだ。

あくまで僕の仮説だが、「天才!志村どうぶつ園」や「ペット大集合!ポチたま」などの番組が話題になっていく中で、「どうぶつ奇想天外!」が取材中に人を亡くしてしまったことで問題になってしまい、影響力が落ちてしまっていったということでフォーマットが移動していったのではないかと考えている。確証こそないのでこれから検証していくことになるのだが、他の番組との影響や視聴率の落ち込みなどによる打ち切りなど、そういったことを考えると同じテーマでの番組間の対立というのが影響を与えていたのではないかと思えてくるのだ。

テレビ番組には、流行したらそのフォーマットを使っていくというようなことが行われている。そういったことを考えていくと、志村どうぶつ園の影響力というのは大きかったのではないかと思う。一方で、どうぶつ好きたちが望んでいたような形からはだんだんと逸れていき、結果としてただのうるさいだけというようなことが多くなってしまった。

また、芸能人たちのがリアクションも、映像を邪魔しないというのも一周回って新鮮だった。最近はワイプを使っていることでリアクションやガヤなどを映像に合わせるようになっているのが主流ではある。けれど、それが主流になる前の番組だからこそ、僕にとってはほとんど見たことのないような、バラエティ番組としてのフォーマットがそこにはあったのだ。

芸能人を出す一方で、生きものを主体として扱わなくなる可能性がある。最初は法律の相談とかを行っていた番組が、次第に単にひな壇番組と化していったようなことも起こっていくのかもしれない。芸能人の影響力は確かに大きいし、その方を目当てにして番組を見るという視聴者層もいる。けれど、それと同じように「生きものを目当てにしてテレビ番組を見るという視聴者層」だっているのだ。

その影響力は、芸能人のファンと比較しても小さいものであるし、芸能人目当てにしていた方が、テレビ局側としても扱いやすいのであろう。けれど、そうやって小さい声を無視していけば、段々と「マス」が小さくなっていく。その結果として、テレビから離れていくのではないだろうかと思えてきて仕方がない。

視聴率という数字を気にする以上、ファン層というのは「数字が予想しやすい」という面で優れているのではないかと思う。けれど、そこに中身が伴っていなければ、番組として面白くなければ、結局はテレビから離れてしまうのではないかと思う。扱いが悪かったりすればファン層は離れていくだろうし、それと同じ事が、生きものが好きな視聴者層がテレビを見なくなってきているという事象ですでに起きていたのではないかと思う。

それが、どうぶつ番組の終焉という形になってしまわないことを、切に願うばかりである。

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